役に立つ時がきます


●平和
「役に立つ時がきます」

金光教放送センター


(ナレ)岡山市内で理髪店を営む成田昌士なりたまさしさん、87歳。子どもの頃から親に連れられてお参りしていた金光教岡山おかやま教会に、今も変わらず、元気に参拝しています。
 成田さんが生まれたのは、昭和12年。この年、日中戦争が始まり、成田さんの父親は招集されて、戦地に赴きました。
 成田さんの両親は、夫婦で理髪店を営んでいました。といっても、髪を切るのは夫で、母親は顔そりだけしていました。その母親が、夫が戦争に行ったことで、幼い子ども達を抱えながら、一人で店を切り盛りしていかなければならなくなりました。不安に思う母親に、義理の父、つまり成田さんのおじいさんが声を掛けます。

(成田)どうしたらいいんだと言うたら、おじいさんが、「おい、おめえ、シンゾウが」。シンゾウというんです、私の親父は。「困った時には金光様へ言え、言ってたんじゃから、おめぇ、本部へ行ったらどうだ」言うて。

(ナレ)本部は、岡山県にある金光教の信仰の中心地です。その本部で、戦前から長年にわたって人々の思いに寄り添い続けていたのが、教祖から数えて三代目になる方で、人々は親しみと尊敬の思いを込めて、「三代金光様」「三代様」とお呼びしていました。

(成田)それで本部へ行って、それでなんじゃ、言うたんでしょう。そしたら、三代様はじーっと下を向いてから、「役に立つ時がきます」って言うたらしいわ。母親としたら「役に立つ時がきます」言われても、何のことやらさっぱり分からんわけ。「分からんなあ」。不安で帰ってきたその途中に、おじいさんが「役に立つ、いうんじゃからおめぇ、『やれ』ということやねえんか」て言うたら、母親も「あぁ、そうかも分からんな」言うて、まぁやめなんだんじゃ。

(ナレ)義理の父の言葉に背中を押されて、母親は、理髪店を続けようと心を決めました。
 すると、その頃から思いもよらないことが起こり始めます。戦争が激しくなるにつれ、人々は風呂にも満足に入れなくなり、頭にはシラミが湧くようになりました。その対策として、丸坊主にする人が増えていったのです。髪を短くそろえるだけなので、それほど技術もいらず、母ひとりでも散髪の仕事を続けることができました。

(成田)それで流行はやりだしたんよ、丸坊主で。素人みたいなもんじゃけど、それでも流行ったんや。丸坊主だからもう髪型も何もねぇもの。それでうちの母親がわしらに言う。「三代様いうのは、でえれえもんでえ」言うて。

(ナレ)その後、昭和16年に太平洋戦争が始まりました。戦争が長期化するにつれて、人々の生活は、さらに厳しさを増していきます。そして昭和20年、成田さんの住む岡山市が、大規模な空襲に見舞われます。

(成田)岡山が6月29日に空襲になった。不意打ち。だから「ダーン」いう音を聞いて起きたんじゃからな、わしらは。それで私の家のすぐ裏には池があるんですわ。私の母親は「もしものことがあったら池行くんど」言うとったから、母親と池へ行ったんじゃ。それで母親は「大丈夫大丈夫、入っとけ」言うて。

(ナレ)爆撃におびえながら水の中でじっと息をひそめていたその時でした。その池に爆弾が落とされたのです。

(成田)それでもう母親がじゃな、わしとお姉さんの首をガッと持ってな、「金光様!」言うてバーっと持ち上げたら、体が宙へ浮いたがなぁ。どういうん、火事場のくそ力、いうんかな、あれがあるんじゃろうな。ボーッと上に持ち上げて、ボサーっと落として。「昌士、逃げー!」言うて。

(ナレ)なんとか逃げ延びた家族は、近くの小さな山にある神社へ避難しようとします。しかしそこにはすでに多くの人が身を寄せていて、入ることができませんでした。しかたなく山の中腹で休んでいると、その神社に焼夷弾が落とされました。

(成田)そのままわしらはどこへも行かず、そこにおったんじゃ。そしたら焼けた人が降りてくる。 それでわしの目の前で休憩していたおばあさんとお母さんが、やけどしとんです。そのおばあさんがな、痛かろうが言うてこう、顔を拭くんじゃ。顔を拭いたら、顔の皮がぶわっとむげるん。だからもう見られたもんじゃねかったけどな。そんな人がもうざーっと降りてくる。そのおばあさんがわしの目の前で拭くから、もうあれは子どもながらにうわーって思ったな。

(ナレ)空襲で家を失った成田さん一家は、各地の避難所を転々としている中で、終戦を迎えました。しばらくして、父親も無事に帰ってきました。そして、終戦から2カ月ほど経った頃、成田さんの両親は、岡山市内の焼け残った寺の門を借りて、その下で散髪屋を始めます。戦災に遭った町には散髪をするところも少なく、毎日多くの人が髪を切りに訪れました。その後、新たに構えた店が、現在の理髪店につながっています。

(成田)そらあ大変ですよ。それでも頑張ってやれたのは、三代様がじゃな、「役に立つ時がきます」言うたのがずっと残ってて。これがもう勝負じゃったらしいわ、母親が言うのには。もう「三代様三代様」言うて言い抜きようたな、もう。
 その三代様が言うてくれたのが縁になって、今わしらがあるわけじゃから。せやからもう、三代様いうたらわしも感謝しとる。

(ナレ)戦中、戦後と、大変な苦難を乗り越え、家族と共に歩んできた成田さん。その背景には、三代金光様の「役に立つ時がきます」という言葉がありました。困難な時代を支えた家族の絆と信仰の力。成田さんの理髪店は、今もその思いを受け継ぎながら、地域と共に歩み続けています。

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