戦争のない世界


●平和
「戦争のない世界」

金光教放送センター


(ナレ)今日は京都府にある金光教東山ひがしやま教会で奉仕する高橋智子たかはしともこさんと、東山教会に託された、ある掛け軸についてお聞きいただきます。
 高橋さんは昭和5年生まれの95歳。3歳の時、お父さんが軍隊の部隊長だったので、家族で台湾へ行きました。日中戦争の開戦で一時日本へ帰国し、その後10歳の時に満州へ渡ります。

(高橋)軍隊ですからな、官舎に住んでたからね、だからもう、いい暮らしをさせてもらったんですよ。まだ日本がしっかり統治してた時代だからね、内地のように、空襲を受けたりとかね、食べ物がないとかな、そういうことも全然なかったの。
 だから割合にね、まあ、恵まれていることは恵まれてました。

(ナレ)「割合に恵まれていた」と話される高橋さん。それは日本が台湾や満州を侵略して統治していた結果でもありました。
 終戦後、高橋さんは日本に引き揚げ、昭和33年27歳の時に結婚して、金光教東山教会で奉仕するようになりました。
 ある時、舞鶴まいづるの親戚から掛け軸を託されました。戦時中に国防婦人会に所属していた親戚のおばあさんが作った、手作りの掛け軸でした。

(高橋)それでこの軸はね、これはどういうものかって言ったらな、舞鶴のこのおばあさんがね、これが親戚先になるんですけどな。このおばあさんが作らはった。それは何かって言ったら、このおばあさんはね、当時ね、婦人会の会長さんだった。だからね、出征兵士を送っていかんならん。送り出すの。たすき掛けで。送り出すけれどもな、もうな、「白木しらきの箱」になって帰ってきはる。な。それでそれが耐えられない。でそれをね、新聞に出るでしょ。で、その新聞を切り抜いて、で、これを全部貼ってある。ざーと貼ってな。それがね、12ほどあった。それでね、教会でずっとこうね、あれ挿して、貼ったり。それからもう毎月、霊祭の時に、2つ程ね出してするとかな。そういう形でね。

(ナレ)「白木の箱になる」とは、戦死して、遺骨を入れた箱が遺族の元に届けられることです。しかし実際には、遺骨を集めることが難しく、現地の石ころや名前を書いた紙切れなどが小さな箱に入れられていたりしたそうです。
 舞鶴は日本海側で唯一の軍港でした。その軍港で、おばあさんは、何人の若者を戦地へ送り出したことでしょう。
 そしておばあさんは、送り出した兵士たちが、次々に白木の箱になって戻ってくることに耐え切れず、新聞に掲載された戦死者の名前や写真を、残らず切り抜いて貼り合わせ、掛け軸を作りました。そしてその掛け軸を前に、亡くなった霊へ祈り続けたのです。
 畳1畳分ほどの大きさの掛け軸は全部で12幅あり、東山教会では折々に慰霊のお祭りをお仕えしていました。戦後50年にあたる年には、「平和の大切さを考える機会にしたい」とすべてを掲示して、誰でも参拝できる慰霊祭を仕えました。
 現在は、そうした機会をより広く持ってもらいたいと、この掛け軸は舞鶴の郷土資料館に収蔵されているそうです。
 日々、平和を願いながら奉仕する中、高橋さんは金光教の有志が沖縄で行っていた、戦没者の遺骨収集活動があると知り、63歳の時から参加するようになります。その時の思いをお聞きしました。

(高橋)それでそのうちに、沖縄の遺骨収集のね、団があって、それに参加するようになりました。勧めてくださる方もありましてね、それで4回ほど、行きました。
 で、この沖縄の遺骨収集はね、何かと言うと、私の父が、戦争に行きました。行きましたけれども、生きて、ずっとね無事におらしてもらいました。それは部隊だから、部隊長だから、後ろに控えてるわけですよね。だから一番前におる人は、これでするけど、奥におりますからね、それで助かってる。それで、あぁそういうことがあるんだったなあと思って、それで、その、償いとして、遺骨収集の御用をさせていただこうと思って、それで参加させていただくようになりました。
 まああの後ろにおらしてもらったおかげだったんやなあ。やっぱし、それだけの、犠牲があるんだなあっていうことね、そういうことを、だんだん思うようになってきましたからな。

(ナレ)戦後80年を迎えた日本。戦争が遠く思えるこの国で、「戦争」はニュースでしかないと感じている人も少なくないのかもしれません。しかし現実には、日本が「戦後」という80年間にも、戦争や紛争が世界から絶えることはありませんでした。いくら平和を求めても、もしかすると永遠に「戦争のない世界」は訪れないのかもしれません。
 そんな絶望の中にも、戦争を知らない私たちには、過去を知り、想像するという術が残されています。
 白木の箱を迎えながら、掛け軸を前に祈り続けたおばあさんの無念を。お父さんは生きていたからと遺骨収集に参加した高橋さんの償いを。人を殺す苦しさを。隣人が死ぬ悲しさを…。
 そこにある痛みを想像し、それを共有していくことができれば、世界は変わるかもしれない。そう信じていきたいと思うのです。

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