震災で学んだこと


●特選アーカイブス
「震災で学んだこと」

(平成17年1月12日放送)

兵庫県
金光教尻池しりいけ教会
谷口惇子たにぐちあつこ 先生



 平成7年1月17日未明、大きな地震が発生しました。阪神淡路大震災です。あれから、早10年の歳月が流れました。あの地震では6433人の掛け替えのない尊い命が失われ、多くの家が全壊、全焼し、電気、水道、ガス、道路、鉄道など、いわゆるライフラインが壊滅的な被害を受けるという大惨事になりました。
 私たち夫婦が奉仕する金光教の教会は神戸市の長田ながた区にあり、一瞬のうちに全壊しました。地震発生の時、夫は神前で信者さんのことを祈っていましたが、突然爆風のようなものに飛ばされた後、崩れてきた天井の下敷きになりました。その横には大きなはりがずれ落ち、横たわっていました。もしも飛ばされていなかったら、その梁をまともに受けて、夫はどうなっていたでしょう。まさに九死に一生を得た出来事でした。
 私は、夫とは別室にいて、タンスなどの下敷きになりました。天井が抜け落ち、泥や砂が降ってきた時には、もう死ぬかもしれないと思ったほどですが、大したけがもせず、本当にもったいないことでした。
 あのような状況の中ではちょっとしたことが人の生死を分けたと言われていますが、あの時、夫や私が命を落としていても少しも不思議でありませんでした。そんな状況の中で、がれきの向こうから夫の声が聞こえてきた時は、「神様、ありがとうございます!」という言葉が口をついて出ておりました。
 しかしその後、一歩教会の外に出た途端、その言葉は凍りついてしまいました。家という家はほとんど倒れ、多くの人が家の下敷きになって亡くなられたり、生き埋めになっておられたからです。また、あちらこちらで火の手が上がっていて、水が出ないために燃えるに任せるという最悪の光景が目に飛び込んできました。そのような時、自分は助かって良かった、ありがたいというようなことは到底思えるものではありませんでした。私は震災に遭遇し、人の生と死に関わる神様の働きについて、心の整理がつかないままの時を過ごしていました。
 そんなある日、教会長である夫から次のような話を聞き、神様の働きについて一つの安心のようなものを得ました。
 私たちの教会にお参りしていたあるご夫婦が、あの震災で亡くなられました。ご夫婦は1階寝室で寝ておられたのですが、地震で2階が1階に落ち、その上に火事に見舞われたのです。2日目に焼け跡からご夫婦の遺骨がたくさん見つかり、娘さん家族の胸に抱かれたのですが、その中に、まるで手をつないでいるような形の不思議な遺骨があったそうです。それを見つけた娘さん家族は、「おじいちゃんとおばあちゃんは手をつないで亡くなっている。おじいちゃんがおばあちゃんをとっさにかばった時、手をつないだに違いない。悲しいけれど、おじいちゃんとおばあちゃんは、おかげを頂いて、一緒に神様のところに行ったんだ」と言われたのです。
 私はその話を聞いた時、そこに神様のぎりぎりのお守り、お働きを感じないではいられませんでした。あの時、信心する人、していない人の区別なく、神様は何とか救い助けようとされて、あらん限りのお働きを一人ひとりの上に現わしてくださっていたのではないでしょうか。私たちが信仰させていただいている金光教では、「神は人間を救い助けようと思っておられ、この他には何もない」、「人間が助からなければ神も助からない」と教えられています。このように私たち人間をいとし子として見ておられる神様が、死に直面している人をじっと手をこまねいて見ておられるはずがない。一人ひとりに寄り添って、何とか助けたい、何とか助かってくれよと懸命に働いてくださっていたに違いない、と思えるようになりました。
 こういう形で亡くなっていかれることは限りなく悲しいことです。しかし、残された人たちがその中にも神様のぎりぎりのお働きがあったのではないかと感じていくことができれば、残された人たちの心が助かっていくことになるのではないでしょうか。そしてそれは、そのまま亡くなられた方々の霊も助かることになるのではないかと思うのです。
 あの大地震直後、被災地は被災者同士が我がことを忘れてお互いを助け合う風景でいっぱいでした。そして行政の働きや全国から駆けつけてくださるボランティアの人たちの有形無形のご支援を頂き、どれほど助けられ元気づけられたでしょうか。
 どなたに頂いたのか、励ましのメッセージ入りのお弁当を避難所のコンクリートの床に敷いた毛布の上で涙を流しながら頂いたこと、全国から消防車が駆け付けてくださったにも関わらず、水が出なくて道端に待機し続けられ、「どうぞ頑張ってください」と私たちを励ましてくださったことなど、忘れることができません。
 今改めて当時のことを振り返ると、人々の真心やお世話になったこと一つひとつが、私たちを救おうと力の限り手をさしのべてくださる神様のお心、お姿に重なって見えるのです。
 多くの人々や家や食べ物、仕事など、いろいろなものに支えられ、生かされて生きている私たちです。その背後にある、神様のお心に目を向け、再び頂いた命を大切に、人が助かるお役に立たせていただきたいと願っております。

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