●もう一度聞きたいあの話
「四方八方感謝」

金光教白金教会
菊村禮 さん
♪雨 雨 降れ降れ 母さんが 蛇の目でお迎えうれしいな ピンチ ピンチ チャンス チャンス ラン ラン ラーン♪ と、このような替え歌を有名な作家が新聞に載せていましたが、今まで実感せぬまま過ごしておりました。
ところが昨年の春のこと。私は突然左足の付け根からつま先にかけての激しい痛みに襲われました。坐骨神経痛。内臓の病気からの疑いもあるということでMRIの検査もしていただきましたが異常なし。原因不明のまま七転八倒。歩けず座れず、家でただ寝ているだけ。そのようなつらい暮らしが続き、体重も減り、「このままでは私の人生も終わりか」と、覚悟を決めたりも致しました。
そのような中で、神様に一生懸命お願いしたところ、ようやく少し歩けるようになりましたので、やっとの思いで教会にお参りし、今の苦しい状況を先生に打ち明けました。すると先生は、「何よりもまず痛くないところのお礼を申し上げ、それから痛いところのお願いをなさい」と仰いました。
とにかく毎日痛くて痛くてたまらなかったのですが、専ら自分の心を徹底して痛みのない部分に向けるように致しました。「右足は?」「痛みは感じません」「おなかは?」「全然…」。
さらに、日頃は当たり前のように思い生活していることに対しても、感謝の念を向けるように致しました。「目は?」「はい、良く見えます」「食欲は?」「おなかならば空いて困るほどです」「お通じは?」「ああ、それなら毎日ちゃんと…」と、このような感じで、朝から晩まで神様に感謝をし続けました。
すると、不思議なもので、「ああ、何てありがたいんだろう」と幸福感でいっぱいになってきました。体中がポッポッと温かくなって、リラックスさえしていくのがよく分かりました。ここでお医者様から聞いたお言葉に納得しました。「痛みを感じるのは脳である。脳は気持ち良いのが大好き。脳が気持ち良く感じられるようにしてしまえばいい」というものなのです。
金光教の前の教主様は、「お礼の気持ちの大切さ」を終生説かれましたが、先取りのお礼についての教えも残していらっしゃいます。
それはどういうものかといいますと、「お風呂に入る前にもお礼を申し上げよ」というものです。すなわち先手必勝です。入る前に、お風呂にまつわる思い付く限りのお礼を申し上げるのです。水道からお水が出る。それを沸かすガスがある。一人で脱いだり着たりができる。自分で湯船に出入りができる。そのようなお礼を申し上げてから、お風呂に入らせていただく。
お湯に漬かり、良い気持ちになってお礼。お風呂から上がって奇麗になって、またまたお礼。そうすることにより、前向きのエネルギーが体中に満ち満ちてまいります。うれしい楽しい温かい陽性のエネルギーに脳は気持ち良くなって、痛みを忘れてしまうというわけなのです。実際には、足はちっとも治ってはおりませんのに、「あっ、治っちゃった! 良かった!」と喜び、朝から晩までお礼を申し上げ続けました。
すると、「あれ、不思議ですねえ。何だか近頃痛くないわ…あら、いつの間にか治ってる」。お礼心のパワー、感謝の思いの何たる不可思議な威力! あらかじめのお礼、その効き目の素晴らしいことを知ってしまったらもうこたえられません。
大きな痛みを伴う病いを、私は「お礼の心」を持つことで治していただきましたが、全ての難儀を克服する力を、この「お礼の心」は持っているのではないかと思います。どのようなささいなことでも、その気になれば「お礼の心」を持つことができます。手が洗える。爪も切れる…お皿が洗える。お箸が持てる。口笛が吹ける。唄も歌える。水が飲める。息が吸える、吐ける…この世に生まれて、例えどのようにたどたどしくとも、一つずつできるようになり、両親・家族が喜んでくれた、あのことこのこと…それらの動作を、神様からのプレゼントだと受け止めた時…お礼の心は、まさに、くめども尽きぬ泉のように、次から次へと湧き上がってくるものなのです。
自分の四方八方を、「お礼の心」ですっぽり包み込んでしまうんです…あ、ほら、ちょうどケーキを作る時、上から下へとトロトロとおいしそうなクリームでコーティングされていくように。そうそう…あれもできる。これもいい。ありがたい。何てうれしい…。生地が出ないように、努めて注意を致します。生地とは、不平や不満の他にも、まだあります。自分の至らぬ点にばかり目を向け、悲嘆にくれたり、希望を失ったりすること。他人をうらやんだり、恨んだりすること。「明日塩辛を食べるからといって、今から水を飲むな!」という例え話のような、取り越し苦労をしてしまうこと。こういった生地が出てしまうと、途端に、「あっ、痛たたたた…」となるんです。
そうして…「わーっ、治った! 治った! 万歳! バンザーイ!」と、浮かれてはしゃいでおりました私に、教会の先生は、「痛いのが治ったのがありがたいのではありません。いつも元気でいられるのがありがたいのです。元気にならせていただいた体と心をもって、さあ、あなたは今から世の中のため、他人様のために、お役に立たせてもらわなければなりません」と仰いました。
病気を治していただいた今こそ、新たなる人生のスタートを切る時なのだと、つくづく感じさせていただきました。これから先は、神様にお礼を申し上げるのみならず、他人様の幸福、助かりを、より一層強く願いつつ、神様からちょうだいした仕事に精いっぱい励ませていただこうと思います。
痛いという大ピンチは、人助けのための人生が開ける、そのビッグチャンスとなったのでした。
♪ピンチ ピンチ チャンス チャンス ラン ラン ラーン♪