人を祈れる私に


●特選アーカイブス
人を祈れる私に

京都府
金光教
田中たなか教会
谷上正三たにがみしょうぞう 先生


 ある日の夕暮れ、救急車のサイレンがすぐ近くで鳴り止み、一時をおいて、再び救急車は遠ざかってゆきました。近くに消防署がありますので、いつものこととそれほど気にもとめていませんでしたが、ほどなく、「先生、お宅の奥さんが今、救急車に乗って行かはりましたけど…」と、隣の奥さんのかん高い声が飛び込んできたのです。瞬間私は頭の先から一度に血の気の引くのを覚えながら、足は一目散に表へ向かって走っていました。「何事が起きたのだろう。先ほどまで落葉をたいていたのに、これは大変なことになった」。動悸が激しく打つのを抑えながら、言葉もしどろもどろに、その奥さんに事情を聞きました。「先生、そう慌てんとおきやす。お宅の奥さんがどうこうならはったんと違うて、そこの青山さんの淳子ちゃんが、急に気分が悪うなって倒れられはりましたんや。お母さんが留守やさかいに、代わりに行ったげはっただけどす」。私はそれを聞いて、一遍に動悸の高まりが治まり、ああよかった、やれやれと、胸をなでおろしたのでした。「それにしても、初めにそうと言ってもらえれば、何でもなかったのに」。内心そうつぶやきながら、夕飯の準備が途中で置いてある台所に立って、その続きを始めました。と、その時、私はふと8年前の次男の交通事故を思い出したのです。
 それはまだうすら寒い3月の初め、この時と同じく真近くで救急車が止まり、近所の人が、「お宅の子たちがえらいことどっせ」と言って知らせてくださったのでした。慌てて表へ出てみると、当時小学校2年生の次男が倒れているのを、救急隊員の人が担架に乗せようとしておられるところでした。そして家内が一緒について病院へ運ばれて行った後、大勢の人だかりの中、警察官より事情を聞かれているそのそばで、「ああうちの孫と違うてよかったわ」と言う声が耳に入りました。私は、その時の冷ややかな寂しい何とも言えない気持ちが、今でも忘れられません。
 あの時と状況が全く逆である今、その時老婦人に少なからぬ憎悪を覚えた自分が、まるっきり同じことを思っているのです。私は、淳子ちゃんにすまないことをしたなあと心中でわび、神様に改めて、どうぞ一時も早く回復するようお願いし、また、8年前の老婦人に対しても、よろしからぬ念を抱いたことを神様にお許しを願ったのでした。
 お互いに、家族や身内のことを思わぬ人はありませんが、だからといって、他の人に思いをかけずに平気でいるというのはどうでしょうか。私はこの二つの事柄に出くわしてみて、「自分は得手勝手なところが潜んでいるのだなあ」と思うのです。そして改めて、金光教祖のみ数えをわが心に照らしてみるのです。「天地の間に住む人間は皆神の氏子、天が下に他人ということはなきものぞ」という教えがあります。神様からご覧になれば、人は皆かわいいわが子であります。私が、救急車に乗って行った家内は人様のお世話のためで、その身の上に何事もなかったことが後で分かってやれやれ安心と思ったり、次男の交通事故で、どこかの人が自分の孫でなかってよかったと思う時も、神様はすべてわが子としてお心を痛めておられるのです。
 たとえ人間として人情で瞬間にやれやれと思うことを許されたとしても、そこから神様のお心を受けて、苦しみや悩みのある人に、愛をもって自分にできることはさせてもらい、手の届かぬところはそこから、その人の安心と立ちゆくことを神様にお願いしてゆくことが、人としての姿勢でありましょう。この事は、今更申すまでもない至極当然のことでありますが、私は、自分が一つのことに当たって、改めてその意味の大切さ、深さを痛感させられました。
 そしてその日、2時間程して、家内が病院から帰ってきました。淳子ちゃんの状態も大したことなく、一晩の入院ですむということで、私どももほっとしました。家内もやはり8年前の次男の事が思い出され、淳子ちゃんとわが子と二重写しになり、神様に一生懸命お願いし続けたと言います。
 明くる日、「おばちゃん、昨日ありがとう」とお礼に来た淳子ちゃんは、いかにもうれしそうで、喜びに満ちた笑顔でした。私たちはその姿に触れたとき、その子の喜びが心の中までしみ通り、すがすがしい気持ちにならされたのでした。私の心の中は、まさしく淳子ちゃんは他人ではなくなっています。そしてこれからもずっとそうであると思います。私と家内も、俗に「夫婦は他人」というとおり、元々は全く見ず知らずの他人にほかなりません。それが二十年間一緒に生活をしている中で、様々な思いがなされて、互いに他人でないものが生まれてきたのであります。
 かつてある重度身体障害者の方の施設を慰問したことがあります。その中で、体の不自由な方々のお世話をされている若い女性の人たちが、職業病といわれる腰痛にもめげず、一生懸命励んでおられます。そのお一人おひとりが、「障害に悩まされている子どもたちから一時も離れられない。朝になると、一刻も早く行ってあげたい気持ちにならされます」と話されました。私たちが神様の子でありますことは、すなわち、その愛を常に受け、また、その愛を人にも与えたり受けたりできる心を持っているのです。
 金光教祖は、かつてお参りの人に、「人にはできるだけのことをしてあげ、人に物をやりたくてしかたがないという心を持ち、自分だけよいことをしたいというような心を持つな」とか、「たとえ人にたたかれても、けっして人をたたくのではないぞ。人に難儀をさすな。よい心にならせてもらえば、ありがたいと思い、すれ違った人でも拝んでやれ。できれば人を助ければよい」と教えています。
 今月今日、私は、自分と人とが共に助かり、よい心になれるよう、実際の生活の中での応用問題を間違わぬようにしてゆきたいと、神様にお願いをしている日々であります。

(昭和61年1月29日放送)

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