はじめてのおつかい


●先生のおはなし
「はじめてのおつかい」

金光教南大垣みなみおおがき教会
今西信子いまにしのぶこ 先生


 私には、成人した娘と息子がいます。いくつになっても、私の子どもであることには変わりはないのですが、最近はパソコンや携帯電話の使い方など、娘や息子に教わることが増えてきました。
 子どもの成長と共に、私も色々なことを一緒に体験し、学んできました。
 同じ親から生まれた子どもでも、それぞれ好きなこと、興味のあることが違っています。娘は子どものころ、空手を習っていたので、試合の時は一緒に悔し涙を流したり、勝利に抱き合って喜んだりと、娘と共に勝つことの難しさを学びました。また、息子は、昆虫が大好きで、カブトムシやセミ、アゲハチョウなどが羽化する様子を、一緒にワクワクしながら観察し、命の尊さを知りました。
 こんなふうに子どもと共に成長してきた私ですが、とりわけ忘れられないのが、娘の和賀代わかよが3歳のころに経験した、「はじめてのおつかい」です。
 私が、ある日、娘にそれとなく、「和賀代がスーパーにお買い物に行ってくれると、お母さん助かるんだけどなぁ」と言うと、娘はいとも簡単に、「私、一人でおつかいに行ってみる」と言うではありませんか。「おー! ついに我が子におつかいを頼める時が来たかー!」と、私のテンションは急上昇。と同時に、私から言い出しておきながら、「一人で行かせても、本当に大丈夫だろうか…」という不安が、私の胸に押し寄せてきました。
 しかし、せっかく娘がやる気になって成長しようとしているのを、親である私が妨げてはいけないと思い、「娘には神様が付いていて下さるのだから大丈夫!」と自分に言い聞かせて、早速おつかいの準備をしました。
 ありがたいことに、いつも買い物に行くスーパーは、我が家の前の道を真っすぐ300メートルくらい行った所にあります。しかも昼間は車もあまり通らないので、比較的安全です。そして何よりも、いつも2人で歩いて買い物に行く道なので、娘もよく分かっているはずです。娘一人のおつかいには好条件でした。
 私は娘に、「それじゃあ、りんご1個と、和賀代が大好きな納豆を1パック買ってきてね」と頼んで、スーパーまでの道をもう一度確認して、お財布を持たせました。「レジでお金を払ったら、りんごと納豆とお釣りを、レジのお姉さんが渡してくれるから、それをもらったらちゃんと、『ありがとう』って言うんだよ」。そう言い聞かせて娘を送り出しました。
 しかし、ここからが大変です。私は、娘の安全を確保しながら、娘に見付からないように付いて行かなければなりません。私は、まるで忍者のように、路地や電柱に隠れながら娘を見守ります。
 ところが、半分ぐらいまで来たところで娘は立ち止まり、見知らぬ女性と話をしているではありませんか。私は、忍者から警察官に早変わりし、鋭いまなざしでその女性を見詰め、娘を連れて行こうものなら、猛スピードで追い掛けられるよう身構えました。
 しかし、私の心配は、程なく解消され、娘は、その女性と別れて、また、すたすたとスーパーに向かって歩き出しました。そしてついに無事スーパーに着きました。私がお店の窓から中の様子をうかがっていると、娘は難なく買い物を済ませ、店を出て元気に家に向かって歩き出しました。
 私は、ぎりぎりまで娘を見守った後、大急ぎで先回りして家に戻り、玄関で、帰ってくる娘を待ちました。娘は、満面の笑みで、「ただいまー。りんごと納豆、買ってきたよー」と、スーパーの袋を差し出します。私は無事に帰ってきてくれたことに安堵しながら、「ありがとう。和賀代が買ってきてくれたから、お母さんすごく助かったよ」と言って、思わず娘を抱き締めました。
 すると娘が、「私、途中でスーパーに行く道が分からなくなっちゃったの。歩いても歩いてもスーパーが無くて、だから、知らないお姉さんに、『スーパーどこですか?』って聞いたの。そしたら、『ここを真っすぐ行ったらあるよ』って教えてくれたから、ちゃんと行けた」と言うのです。
 私は、「えー!? いつもお母さんと行ってるし、一本道やん」と言いそうになりましたが、きっと娘は一人で心細く、いつもよりスーパーがとてもとても遠くに感じたのだと思い、「そっかぁ。ちゃんと道を聞くことが出来て、偉かったね」と言いました。娘のはじめてのおつかいはハラハラ、ドキドキの連続でしたが、親子共々神様に見守られ、どうにか無事に終わりました。
 あれから20年余り経ちましたが、大冒険に臨む娘を祈りながら見守ったことが、昨日のことのように思い出されます。
 我が子のちょっとした動作にも目を凝らし、無事を祈らずにいられない、切ないまでに愛しい気持ち。これが子を持つ親の心なんだなあと、改めて気付いたのです。きっと私も、そんなまなざしで見守られながら育てられてきたのでしょう。そしてさらに、神様もまた、私たち人間のことを、こんな親心で見詰めて下さっているのだろうと深い感動を覚えたのでした。
 私は、初めてのことにチャレンジする時や、自分の進むべき道が分からなくなった時、不安で立ちすくんでしまうことがあります。でもそんな時には、いつもこの日のことを思い起こします。そして、神様がじっと見守り、応援して下さっていることを確信した時、前に進もうとする勇気が湧いてくるのです。
 さあ、今日も一日が始まります。今日はどんな「はじめて」が待ち受けているでしょうか。

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