今日も元気な心で


●特選アーカイブス
「今日も元気な心で」

福岡県
金光教城島じょうじま教会
原田洋祐はらだようすけ 先生


 殊のほか厳しかったこの冬も、無事に過ごし、この6月で95歳を迎える母は、今朝もいつものように元気な心で5時に起きています。この冬中、家内や孫たちから「おばあちゃん、この寒い時にもっと暖かくなるまで休ませてもらっていたら!」と言われても、母は、「何のお役にも立てない私にできることは、家族やお世話になった方々の身の上や助かりを、神様にお願いさせていただくことぐらいだから!」と老いの身に鞭打ちつつ、神前にひれ伏すのが一日の始まりであります。
 しばしのお祈りが終わりますと、自分の部屋の掃除や身辺の整理にかかります。白内障に侵された眼は、濃霧の中にいる様子で、掃除といっても手探りでありますし、10年前の脳出血の後遺症は、手足の自由を奪い、十分な動きもできないのです。中学生の孫娘から「おばあちゃんが掃いたあとはかえってごみが出てきているよ」とからかわれながらも、母は「今日も心残りのないような生き方をさせてください。自分でできるところは自分でさせてください」と祈りながら、努めて身の回り一切を誰の手を取ることもなく、日々を過ごさせていただいているのであります。
 心置きなく一通りの朝の拝礼と掃除が終わると、ニュースワイドに耳を傾け、世の中の動きを理解しようと努めています。わが家で一番の早耳で情報屋さんでもあるのがおばあちゃんであります。
 その母も5年前のこと、風邪がもとで寝込んでから心身の衰えがひどく、ボケてしまいました。自分の居所さえ分からなくなり、「ここはどこですか? うちへ帰してください」とか、嫁の顔さえも見分けがつかず、「あなたはどなたですか? 嫁を探して早く車を呼んでもらってください」などと口走ったり、突然、亡くなった人が出てきて話をするなどの幻覚に悩まされたり、昼夜の境なく家族の者を手こずらせました。
 ふと正気にかえっては、みんなに迷惑を掛けてすまない、すまないと涙し、ついには「私が生きていては家族の者たちに迷惑を掛けます。お役にも立てない私です。神様どうか早くお引き取りください」と、夜中に声を出して泣き泣き神様に祈る始末です。生きる意欲を失った母の言葉に、私どもはいたたまれないほどのつらい思いをしていました。
 とある日の午後、熟睡から覚めた母は、「神様、申し訳ありません。私の心得違いをお許しください。90年このかた命を頂き、お恵みの中に生かしくださった神様のご恩を忘れて、早くお引き取りくださいとわがままなお願いを申し、誠に申し訳なく存じます。どうぞお生かしくださる今月今日を元気な心で、寝たきりの私にできることでお役に立ててください。どうぞ神様のみ心に添う生き方にお導きください」と祈っているではないですか。そして、家族の一人一人や知り合いの人々のことを祈り始め、嫁の介護に手を合わせているのです。
 元気な心と希望を取り戻し、人の助かりを祈ることに生き甲斐を見い出した母は、ボケからも寝たきりからも見事に立ち直らしていただいたのであります。
 以来、95歳を迎えて、暇さえあれば神前に額ずき、人のことを祈ることを自分の使命とし、限りない喜びとしているのであります。人の痛みを忘れ、あくなき欲望に走る今の世にあって、母の周囲に、「おばあちゃんが元気な心で生きているだけで私たちの力強い励みになる」と、触れ合う人々に尊いものを与えてくれています。
 最近の思いを次のように話していました。
 「朝起きると、私は今日も目覚めたことに何とも言えぬ感謝の気持が湧いてきます。今朝、目が覚めなかったら今日という日は私にはありません。目が覚めたから今日が始まったのだと思うと、目が覚めたことにお礼申さずにはおれません。顔を洗うこと、朝の祈りができること、朝ごはんをおいしく頂くこと、午前中を無事過ごさせていただくこと、人が訪ねてくれば楽しく話に花を咲かせる、昼ごはんを頂き、午後の散歩ができ、風呂に入って気持よく一日の疲れを癒し、夜は静かに寝床に休ませていただく。みんな当たり前のことのようだけれど、静かに考えると有り難いことばかりです。当たり前のことに感謝しお礼を言うことを忘れてはならないと思います。もし朝起きられなかったら、もし仕事ができなかったら、もし夜眠れなかったら、来客があっても話せなかったら大変です。一日の中で、当たり前のことに感謝し、お礼を言うことはたくさんあります。一日の中でお礼を言い、感謝することの多い人ほど幸せでありましょう。当たり前のことに感謝しお礼を言うことを忘れると、難儀なことが起きてくるようです」
と母はこのように話をしています。
 このような母も、長い人生の中には、打ち続く病や、夫に先立たれるなどの不幸に出合ってきました。ご縁によって金光教の信心を頂いた母は、恩師から「信心も、ありがたい心、うれしい心だけでは足りぬ。元気と希望を胸一杯持って神に向かえば、神が後押しをしてくださる」とのお言葉を頂いて、度重なる難儀を、真実な生き方をするきっかけにし、出合う人生の様々な事柄を通して、神様のおかげの中に生かされて生きる自覚を深め、生きる活力にさせていくことができたのであります。
 教祖金光大神こんこうだいじん様は、「生きている間は修行中じゃ」とみ教えくださっています。年老い、身は不自由であってもなお、母は起きてくる良いことも悪いことも、それがすべて自分の助かりのために神様から与えられたものとして、元気な心と希望を持って日々を取り組み、人の助かりを祈り続けさせていただいています。

(昭和59年5月9日放送)

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