誰かの役に立つこと


●先生のおはなし
「誰かの役に立つこと」

岡山県
金光教岡山教会
高橋直子たかはしなおこ 先生


(ナレ)おはようございます。案内役の大林誠おおばやしまことです。
 今朝は金光教岡山教会、高橋直子たかはしなおこさんによる「誰かの役に立つこと」と題するお話です。ではお聞きください。

 何かに取り組む時、神様にお願いしてからしてみると、思いもよらない展開が生まれたり、いろいろと気づかされることがあります。
 私は日頃から「人のお役に立てますように」と神様にお願いしています。誰かの役に立つことが私の喜びになります。
 例えば、家の中で、家族が助かるのではないかと思う事を見つけてしていると、夫もいろいろ手伝ってくれるようになりました。
 私たち夫婦は、昼は職場から自宅へ帰って食事をとります。私が食事の準備をしていると、夫が洗濯物を取り込んで、畳んで、ワイシャツや制服のアイロン掛けまでしてくれます。それを見ていた子どもたちも、親が忙しい時は食器を洗って片付けてくれたり、洗濯物を取り込んで畳んでくれたり、アイロン掛けをしてくれる時もあります。私がしなければと思うことをしてくれるので、自然に「ありがとう、ありがとう」と感謝の言葉が出てきます。すると今度は私が当たり前にしたことでも、家族から「ありがとう、ありがとう」というお礼の言葉が返ってくる。自分が認められているようなうれしさ、気遣ってくれる気持ちに、改めて感謝の思いが湧いてきて、幸せな気持ちになります。家族の役に立ちたいという思いでしてきたのに、実は私が一番助かっているのではないかと思うようになってきました。
 職場でも、例えば普段のゴミ集めや、缶、瓶、段ボールなどの資源回収物を取りまとめて出すことは、自分の仕事の一部という気持ちで取り組んでいます。同僚の机周りの片付けや掃除など、皆さんが外での作業から帰ってきた時に気持ちが良いようにと、自分のできる範囲ですが、するようにしています。
 すると、機械にうとい私のために、若い方たちがいつの間にか、私の使い勝手が良いようにパソコンを整えてくれていたり、何か失敗をしても、かばってくれたり、手助けしてくれるようになりました。
 できない事もあるけれど、人のためにと誠意を持って地道に取り組んでいると、のちに思っても見ない程の良いことが自分に返ってくるのだということを学ばされました。
 一方でこんな気づきもありました。中学生の息子が、体操服を忘れて登校していった時のこと。私は学校へ届けに行きました。あいにく息子には会えず、通りかかった先生に預けました。私は安心して家に帰り、少しだけ「今日はありがとう」という言葉を期待して、息子の帰りを待ちました。
 夕方、息子が学校から帰ってきました。なんだか不機嫌な様子です。どうしたものかと思っていると、「母さん、僕が忘れ物をした時は、届けなくてもいいから」と言われたのです。「忘れ物をしたのは自分が悪い。そんな時は自分が先生にちゃんと話すから、母さんは心配しなくていい。持って来てほしい時はちゃんとお願いするから」と言うのです。
 確かに、忘れ物をしたのは自分の責任というのは、当然のことです。しかしそのことよりも、それを母親に助けられたことのほうが本人は嫌だったのかと思うと、親として少し寂しく感じると同時に、大人のような考え方ができるようになってきたわが子の成長に、喜びも感じました。
 私は小学生の頃、忘れ物をして先生にひどく叱られたことがあり、忘れ物に対して必要以上に気にかけてしまうところがあります。しかし、それは私にとっての嫌な経験で、子どもはそのような思いを持っていません。それなのに「届けたほうが良いに決まっている」と思い込んでいた自分に気づかされました。このことで改めて、私の悩みが子どもの悩みとは限らないということ。つまり、私の先入観や決めつけが、よかれと思ってしたことでも、押しつけになったり、嫌な思いをさせることもあるということを、神様が学ばせてくれたように思ったのです。
 こんなふうに神様にお願いしながら取り組んでいると、そのこと以上の発見や学びがあり、日常が楽しくなっていきます。これからも日々神様にお願いしながら、お役に立てることをさせていただきたいと思います。

(ナレ)いかがでしたか。わが子のためにと思ってしたことが、逆に迷惑がられたという話がありました。中学生の心理って、難しいもんですね。しかし高橋さんは、せっかくあなたのためを思ってしてあげたのに、と言って腹を立てるのではなくて、自分に思い込みがあったと反省される。これには驚きました。
 そういう考え方ができるのは、まず神様にお願いするということがあってこそではないでしょうか。お願いした上で起こってきたことだから、これは神様からのご返事だと受け止めることができる。そしてそこからいろんなことを学び取り、自分自身を改めていく。そんな素直な生き方が身についているんでしょう。
 金光教の教えの一つに「日に日に生きるが信心」というものがあります。生活そのものが信心になるように、ということですが、神様との対話を楽しみながら毎日を送っている高橋さんの暮らしぶりが、まさにそれなんでしょうね。

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