ラジオドラマ「坂下の小さな店で」第6回「月の美しい夜に」


●ラジオドラマ「坂下の小さな店で」
第6回「月の美しい夜に」

金光教放送センター

しげの(M)
 私は田舎町の坂下にある何でも屋を長い間やっています。しげのといいます。70歳です。

しげの(M)
 9月となりました

しげの:あなたー。出たわよーっ、お月さまが。
修 造:今夜は、中秋の名月か。奇麗だねえ…。

   SE (ガラス戸 たたく)

たまえ:ちょ、ちょっとちょっと。しげのさーん!
しげの:だぁれ?
たまえ:私よ。

しげの(M)
 ご近所に住む細井たまえさんでした。

しげの:(SE 店の戸 開ける)たまえさんじゃないの! どうかしたの? こんな夜更けに…。
たまえ:まだ九時じゃないの。お塩、2袋。ううん、3袋ちょうだい。
しげの:な、何だってまたそんなにたくさん…。
たまえ:フライパンで煎って撒(ま)くのよ、主人の部屋に。
しげの:(驚いて)今から? 何で?
たまえ:浮気封じなのよ。
しげの:ええーっ!
たまえ:見付けちゃったのよ。主人の机の上に、書き掛けのラブレターを。
しげの:そ、そんな!
たまえ:私はただの一度だって浮気をしたことなんかないのに。今夜は学生時代の友達と飲んでくるだとかなんとか言っちゃって。う、うそよ! く、悔しー!
しげの:ハ、ハァ…。じゃこれ。(お塩を渡す)1袋、185円だから…。
たまえ:あっ、うっかりしてお財布持ってくるのを忘れちゃった! 悪いけどあしたねー! (去る)

しげの(M)
 十五夜のお月様は雲間に隠れることもなく、私を待っていてくれました。

修 造:しげの。お茶、新しいのと取り替えといたぞ。
しげの:ありがとう。私、シアワセ…。
修 造:うん?
しげの:たまえさんのご主人ね、浮気をしているんですって。
修 造:七面鳥みたいな顔をした、あのご亭主が?
しげの:それで浮気封じのために。
修 造:塩を撒くのか?
しげの:たまえさんのあの性格じゃ、ご主人の浮気に辛抱できるわけがないわよねえ。
修 造:当然だよ。辛抱し続けて男を甘やかしちゃならんよ。そういえばおふくろが、よく言ってたなぁ…。
しげの:言ってましたねえ。

ミツ(声):しげのさん。「しんぼう」には2つのしんぼうがあるのよ。

修 造:おふくろとは、しげのは仲が良かったからなあ。2人でこの店を守って…。気を使うこともあっただろうに…。
しげの:互いにしんぼうをし合っていたのかもしれません。でも2つのしんぼうのうちの良い方のしんぼうをしていたから…。

ミツ(声):しげのさん。しんぼうという字を、書いてごらんなさい。漢字で。「辛さ」を「抱く」。そう書くでしょう?

しげの:は、はい。

ミツ(声):辛さを抱いたりしてはいけませんよ。身体を壊してしまいますから。もう一つのしんぼうをすればいいの。

しげの:何ですか。その、もう一つのしんぼうって。

ミツ(声):「辛抱」。「神抱」。耳で聞けばおんなじだけれど、もう一つのしんぼうは「神」に「抱かれる」と、そう書くのよ。

しげの:…神様に…抱かれる…。こんなに安心なことはありません!

   SE (ニワトリ)

たまえ:おはようございまーす。
しげの:あ、たまえさん。いらっしゃい。
たまえ:昨日のお塩の代金を持ってきたのよ。ハイ。
しげの:いつでも良かったのに。…大丈夫?
たまえ:何が?
しげの:辛抱することなんかないのよ。ご主人が浮気をしたとしても神様にしっかり抱いてもらって…。
たまえ:何を言ってるの?
しげの:あなたがご主人の浮気で落ち込んでやしないかって、私は心配で…。
たまえ:あ、そのこと? 主人ね、昨日の夜遅く帰ってきたのよ。「飲み会は断った。ラブレターの締め切りのことで頭がいっぱいだ」とか言って…。
しげの:ラ、ラブレターの締め切り?
たまえ:文芸雑誌の懸賞に応募するんですって。「月の美しい夜にあなたに送るラブレター」っていうの。賞金は百万円なり!
しげの:(仰天 脱力)…そ、そうだったの…。

   SE (カラス)

修 造:どうだい? しげの。俺が作った今夜のカレーの味は。 しげの   「男子、厨房に入って女房をうならす一品」っていうコンテストに、応募してみたら?
修 造:(笑って)それなら浮気と勘違いされることもないしな。
しげの:(食べる)わっ。か、辛ーい! のどが! み、水! お水―!

ミツ(声):(笑って)しげのさん、大丈夫ですよ、甘くたって辛くたって。神様に抱かれてさえいれば、いつでも、どんな時にでも、安心なのですよ。

            音楽 (END)

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