人生の常備薬


●信心ライブ
「人生の常備薬」

金光教放送センター


(ナレ)金光教の集会で行われた発表や講話などを録音で紹介する「信心ライブ」。
 今日は、金光教の願いを受けて設立された金光八尾中学・高等学校と、金光藤蔭高等学校で宗教の授業を担当されている近藤正明こんどうまさあき先生が、平成22年2月に研修会でお話しされた内容の一部をお聞き頂きます。

(近藤)宗教の授業っていうのは、受験の特効薬は配られないけれども、消費期限のない「人生の常備薬」を配らせてもらっているようなものだから、絶対にあんたたちには損はさせないから、3年間頑張って、週に1時間、宗教の授業を受けてなあ、と言って、お願いして始めるようなことなんですけれども。
 実際にそうしたらどんな授業をしているのか、と。
「ほんまにつらい、苦しい時は鏡を見てみ」と言うんですね。鏡というのは顔を映しますけれど、その顔はその時の心の状態を映します。腹が立っている時の顔を見ると、「えっ、私、こんなに悪い顔なん?」と映る訳なんですね。うれしい時に見れば誰でもべっぴんさんになるし、イケメンになる訳なんですね。そういうふうに、鏡というのは不思議な力を持っているんですけれども。
 その鏡を見て、「つらいとか、悔しいとかあれもこれも欲しいという自分中心の心、つまり『』を取り去る稽古をしなさい。鏡から『我』を取るとどうなりますか。『カガミ』から『ガ』を取ると『カミ』、つまり神様のような心になります」というような話を生徒たちにするんです。そう話すと、生徒たちは次の休み時間に鏡を見出すんですわ。ほんまに。
まあ、そんな話をしたりするんですけれども、正直な話を申しますと、宗教を伝えるというのは非常に難しいです。やっぱり、一番の土壌のところで、何が今行われていないかと言ったら、本来昔でしたら、家庭で行われていたはずの、そういった目に見えないものに対する「畏敬の念」であるとか、「感謝の心」であるとか、いわゆる、宗教的な信仰心とまではいかないまでも、そういったものに対して、へりくだった気持ちを持つといったものが、おそらく昔は大家族の中で、おじいちゃんやおばあちゃん、あるいは、お父さんやお母さんが口で説明しなくても背中で教えていたと思うんですね。目上の人を敬うとか、お年寄りを大切にするとか、人を大事にするといったことは、家の中で自然に教育されていた。それが現在はない状態で、正直な話、社会に放り出されている。
 やはり、今の高校生年代の子どもたちにありがちなのは、自立していく過程で大事なことですが、「誰の力にも頼らへん」「自分一人で生きていくんだ」、また、「自分一人で生きられるんだ」という勘違いですね。この勘違いが、実は、大きな勘違いなんやで、と。
 そうした勘違いに対して、人間は誰も一人では生きていくことが出来ず、全てあらゆる人や物のお世話になり、つまり、「生かされて生きている自分である」ということを自覚してもらえるように、そして、自分を生かしてくれている存在に感謝の気持ちを持つということを、いろいろな例え話、具体例をあげてお話させて頂いているようなことであります。
 私にとって生徒たちに一番伝えたいことは、宗教を信仰することは特別なことではなく、空気を吸うことや、ご飯を食べることのように、神様に手を合わすことは大事なことだということを伝えたいんです。日常の生活の中に、普遍的にそういった信仰の世界があり、目には見えなくても、私たちを生かし育んでくれる空気、太陽、水などに対して、使う時にありがたい、うれしいという感謝の気持ち、そして畏敬の念を持つことが大事だと思うのですね。

(ナレ)近藤先生は、1年生の最初の授業で必ず、「先生、神様って本当にいるの?」と聞かれるそうです。
 そんな生徒さんたちにとって「宗教の時間」は、水や空気、太陽の光といった、あることが当たり前と思いがちだった恵みに気が付く時間であったり、鏡を見て自分を見つめ直したりする時間であるかもしれませんね。
 自分のいのちを支えている働きや、心といった、なかなか目に見えにくいことに目を向けさせてくれる近藤先生のお話は、いつの日にか「人生の常備薬」となって、こころの根っこ、いのちの元を元気にしてくれるように思いました。 改めて私も、鏡を見てどんな顔をしているのか確かめて、今日一日を笑顔で過ごしたいと思います。

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