●特選アーカイブス
「神様もせつなかろう」

福岡県
金光教南八幡教会
松田正一 先生
つるべ落しの夕日が山ぎわに映える頃、35歳になるはじめさんは、単車に乗って通い慣れた県道を家路に急いでいました。自宅近くのカーブにさしかかった時、一人の老人がバスの陰から飛び出して、アッと言う間もなく跳ね飛ばしてしまったのです。突然の出来事になす術もなく、彼はただぼうぜんと救急車の来るのを待っていました。どこからともなく人が寄ってきて、遠まきにささやきあっていました。彼はその場から逃げ出したいような思いと、孤独に青ざめていました。どの位の時間が経ったでしょうか。やっとの思いで救急車を見送った彼は、現場で警察を待ちながら、「えらい事になってしまった。もしかしたら、あの老人はあのまま死ぬんじゃないだろうか」と不安を募らせていました。
ちょうど夕方のラッシュ時と重なり、現場検証の事故処理に手間取り、その間彼は、近所の人や道行く人のさらし者でした。
やっと病院を探し当て、受付で尋ねていると、そこに被害者の息子が立っていて、彼が加害者だと分かると、急に大声で感情をぶつけてきました。彼は弁解の余地もなく、ただ頭を下げるだけでした。医者から、命に別状はないが全身打撲の重症ですよと聞かされ、重苦しい気持ちで病室へ向かうと、老人の苦しそうなうめき声が、廊下まで響いていました。その声を聞いた瞬間、彼は部屋に入る勇気を失ってしまいました。先程の息子の声が、まだ耳元に残っていたのです。このままそっと立ち去ろうかと迷っていると、中からドアが開かれて、彼は再び部屋のさらし者になっていました。病室は6人部屋で、4人までが交通事故の被害者でした。苦しそうにうめく老人の側に、老婆が付き添っていて、深々と頭を下げる彼には目もくれませんでした。無視されることで彼は一層苦しい立場に立たされるのでした。
病院を後にして、彼は日頃参拝している教会に向かいました。彼は、いくら信心していてもあんな交通事故を起こしてしまって、と近所の人から思われることがつらく、それにも増して、自分のミスで平和な年寄り夫婦の家庭を壊してしまったことに、自らを責めていました。
事故の一部始終を聞かれた教会の先生は次のように話しました。
「自宅の近くで老人を跳ね、町内の人にも知れ渡り、後指を指されるあなたもつらかろうけど、神様はもっとせつなかろう。誰も好んで事故を起こす人はいないけど、あなたも長年、このお道の信心をさせていただいているのだから、真正面から取り組んで、神様にも、被害に遭った先方も、そしてあなた自身も助かる生き方をさせていただきなさい。それがあなたの真実の生き方ですよ」と、力のこもった話の中で、「神様はもっとせつなかろう」という言葉は、彼の心をとらえました。事故を起こして苦しんでいる自分を助けてくれるのが神様ではないか。その神様が自分よりも、もっと苦しんでおられるという。そして、私に何を悟れよと願われているのか、双方が助かる真実の生き方とはどうすればいいのかと自問自答しながら、彼にある決意が湧いてきたのです。
その翌日、彼は教会に参拝し、病院に寄って老人を見舞おうとしたのですが、昨日と同じうめき声に、廊下で足がすくみ、容易にドアを開くことができませんでした。思い切ってノックをしドアを開くと、昨日の冷たい視線が再び彼に浴びせられました。小さな声で、「いかがですか、すみません」と途切れがちな声に、何の返事もしてもらえず、しかたなく部屋の隅に見舞いの品を置いて帰りました。
彼にとってまさに針のむしろの部屋に、次の日もその次の日も、仕事帰りに訪れては何の言葉もかけてもらえないまま一週間が過ぎました。八日目、付き添いの老婆から初めて「もうそんなに来なくても結構です」と言葉が返ってきました。しかし、彼には神様にせつない思いをさせているという思いがあって、そうせずにはおれなかったのです。先方からたとえ何と言われようとも、彼の思いは変わりませんでした。2週間が過ぎた頃は、「これを子どもさんに」と、反対に頂いて帰るようになりました。そして3週間が過ぎる頃には、ベッドの上に座って見舞いの品を食べながら話ができる間柄になっていました。彼が信心をしていること、毎日教会に参拝して痛みがとれるよう、ケガが全快するよう祈っていること、毎日見舞わずにはおれない彼の思いなど、ありのまま話しました。
事故から20日目の夜、タクシーの運転手をしている被害者の息子から呼び出しを受け、また怒られるのではないかと思いながら先方の家に行きました。ところが、「いつもじいさんを見舞ってくれてありがとう。世間には1、2回見舞って、金さえ払えばいいという態度をとる人が多い。そういう人には、こちらもできるだけ取ってやろうという気になる。しかし、あなたのような人にはそれもできん。実は病院で治療費を調べると、今日までに44万円かかっている。これから先何日入院するか分からん。あなたに負担のかからぬ方法を、病院でよく相談してください」と反対に相手から支払いの心配をされるほどでありました。
年の瀬も押し迫ったある日、被害者の年寄り夫婦が、彼の家を訪れ、「おかげさまで、今日退院致しました。入院中は、よく見舞いに来てくださってありがとうございました。本来なら、うちで一緒に飲みたいところですが、私はお酒を頂きません。どうぞこれを頂いてください。実は、私の孫も交通事故に遭ってひどい目にあいましたが、私の場合、あなたのような人に跳ねられて良かったと思っております」とお礼を言って帰られました。彼は、なるべく負担をかけまいと早く退院した老人の思いやりに感謝するとともに、神様の願いに立って真実の生き方をしていくことで、相手も助かり、自分も助かるおかげの生まれることをしみじみとかみしめていました。
