●先生のおはなし
「神様の手の中で」

広島県
金光教新市教会
森本信子 先生
それは今から8年前、主人が39歳の時の出来事です。教会での祭典が終わり、私は外でお参りに来られた方々に挨拶をしていました。するとその時「バキ! ドサ!」と、目の前に青い物、次に白い物がスローモーションのように落ちてきたのでした。どこからか「何か落ちた!」「人じゃ」「あっ! 浩史じゃ!」と言う声が私の耳に入ってきました。
私は突然のことに「えっ?」と思いましたが、音のした方に目をやるとそれは主人でした。祭典の片付けのため屋根の上にいた主人が割れた屋根と一緒に落ちたのです。すぐそばに行き「私がしっかりせんといけん!」と思い、主人の手を握りながら、心の中で「金光様、金光様!」と神様にすがるしかありませんでした。主人は何とも言い表しようのないうめき声をあげており、周りの方々が救急車を呼んで下さいました。
しかし、なかなか救急車は来ず、その時間はとても長く思えました。その間、小学生の息子に「これから母さん、お父さんについて行かんといけんけえ、母さんのカバン持ってきて!」と私が言った瞬間、子供は叫びながら走っていきました。後から聞いた話ですが「お父さんが死んだー!」と言いながら走り回っていたそうです。
病院に着くと、先生から説明があり「ろっ骨が8本、鎖骨が1本折れています。肺には刺さっていません」と言われました。その病院は完全看護だったのですが、どうも気になり、私は付き添わせてもらうことにしました。
その夜、主人は頭が痛いと言うのですが、看護士さんは「熱もないので大丈夫ですよ」とのことでした。 2日目には、主人の妹が、子供達を連れて病室に来てくれましたが、子供達は主人に会うのが怖かったらしく、なかなか病室に入ろうとしませんでした。「大丈夫だよ」としか言えない私の心の中は不安でいっぱいでした。
その日の夜も頭の痛みを訴えていたので、看護士さんに尋ねると、薬の副作用だと言われました。
そんな時、ふとある事を思い出したのです。それは、今から十数年前、脳梗塞で入院した母のことでした。最初は意識があったのですが、何日かすると眠ってばかりいるようになりました。私は最初「しんどいんじゃろうなー」ぐらいにしか思っていませんでしたが、何日かして「母さん、ご飯食べれる?」と聞いても返事さえしてくれなくなりました。心配になって看護士さんを呼ぶと、すぐに集中治療室に運ばれ、処置をして頂くということがありました。
その出来事が頭をよぎり、私には主人の様子が母の時と全く同じに見えて仕方なかったのです。
私は担当の先生に「ずっと頭が痛いと言っています。様子もおかしいんです!」と必死で訴えました。「とりあえずレントゲンを撮りましょう」と言われ、お任せするしかありませんでした。すると廊下で待っている私の所に先生が来られ「これからもう一つ検査をしますが、もしかすると頭を切ることになるかも知れません。病院を替えようと思いますがどうされますか?」と言われた時、もう私の頭の中は大パニックになりました。
結局転院が決まり、病院に着いた途端、先生に呼ばれ、開口一番「すぐに手術をします。もう準備は出来ています」と言われました。検査の結果は、脳挫傷と頭蓋骨骨折でした。
何がなんだか分からない状態でしたが、その先生の説明を聞いてるうちに、気持ちがだんだん落ち着き「これで助かった」と心の中でつぶやいていました。
手術が終わり、担当の先生からの説明では「大変難しい手術でしたが、何とか成功しました。もう大丈夫です」と言われました。私は、先生にお礼を言い、部屋を出ると同時に、今までの緊張が解け、腰が抜けてしまいました。
その数時間後、私は主人に会うのが怖く、恐る恐る病室に行くと、少し気取ってうれしそうに、きれいな看護士さんに食事を食べさせて頂いている主人がいました。
「人の気もしらんで…」と思いましたが「良かったぁ」と、胸をなで下ろしました。その日は待合室に泊まりましたが、眠ることは出来ませんでした。次の日の朝、病院の待合室の窓から見た朝日はとても美しく、私は「神様ありがとうございました」とお礼を言いました。
私は時々あの日のことを思い出しながら空を見ます。 今ではあの時のことを忘れ、つまらない夫婦げんかをしたりしている毎日です。今思えば、神様は主人の様子がおかしいことに気付かせて下さったり、いろんな方々の祈りや助け、家族の協力などたくさんのつながりの中で支えられて、主人が今も生かされているんだなと思え、神様がそばにいて守って下さっているのだなと感じるのです。
皆さん、ふっと空を見上げてみませんか。晴れていても曇りでも何となくホッとしませんか。そこに何かがあるのかもしれませんよ。
