●特選アーカイブス
「義父(ちち)の生き方を見つめて」
(平成17年3月9日放送)

兵庫県
金光教加里屋教会
井上憲親 先生
私は若い頃から、家族の心が通じ合って明るく笑顔のある家庭生活を送りたいと夢見てきました。と言いますのも自分の欠点が我の強さにあり、何か問題が起きるたびに我を通し、引くことができない、そういう自分に随分苦しめられてきたからでした。妻の父も、そこを心配したのでしょう。「あんた、人と意見が合わなくても神様にお願いしながら、我を通さないようにしなくてはいけないよ」と注意してくれました。そして、「神様はなあ、和らぎ喜ぶ心になることを願ってくださっている。時には引いたり、妥協するような気持ちになることも大切だよ」と教えてくれました。私はそれを聞いて、「和らぎ喜ぶ心」になろうとすることは、なるほど大事だと思いました。しかし妥協するような気持ちになることも必要だというのは、いったいどういうことだろうかと、随分考えさせられたのです。妥協してしまえば自分の意見を主張できません。負けるような感じもします。そう思いながらも義父が言ってくれたことを大切にしたいと思い、自分の思い通りにならないことでも、神様にお願いしながら受け止めさせていただこうと心掛けてきました。
その義父も、一昨年の1月に84歳で亡くなり、義父自身の生きる姿を通して、いろいろなことを教えてくれました。まず、不平不足を言わない人でした。66歳の時に皮膚がんを患い、両足の皮膚を、かなり広く切り取って下腹部に移植しました。それから、足の付け根のリンパ腺を全部取り除きました。それ以来、足の関節から下が腫れ、靴が履けなくなり、サンダルで外出しておりました。亡くなる5,6年前には、腫れはいよいよひどくなり、固くパンパンに膨らんで、青白くて血の気のない、ろう人形のような足になりました。歩くことも難しくなってしまったのです。さぞ足が重たかったろう、痛かったろうと思うのですが、義父の口から、「痛い」「つらい」というような言葉を聞いたことがありません。片手で杖を持ち、手すりを頼りに、あるいは義母の肩につかまりながら、一歩ずつ家の中を進んでいました。そして毎日神様をおまつりしてある所に行って、家族や知り合いの人たちの健康と幸せを祈っておりました。
また、いつも感謝し人の心を和ませる人でした。車いすで病院に連れていくと、お医者さん、看護婦さんに会います。家にはヘルパーさんたちが来てくれます。そういう人たちに会うたびに右手を肩まであげ、ニッコリとあいさつするのです。別れる時も同じように「ありがとう」でニッコリ。コップ1杯のお水を持ってきてもらっても、「ありがとう」を忘れません。食事でどういう料理が出ても、「オオ」と感激の面持ちで、お礼を言いながら頂いておりました。
亡くなる前の年の夏、義父のトイレの世話を終えた私の妻が、義父にズボンをはかせていた時のことです。何か義父の足が震えているので、見上げてみたのだそうです。すると義父は足元にいる妻を見ながら震える手を合わせ、「ありがとう、ありがとう」と何度もお礼を口にしたということです。「自分が生まれてから今日までどれほどお父さんにお世話になったか分からない。それが、ほんのわずかなお世話一つで、手まで合わせてもらって、何とも言えない気持ちになり、もったいなくて涙が出た」と妻は私に話してくれました。
こうした義父の、ものの感じ方や生き方は、どこからきたものなのでしょうか。義父は、第二次世界大戦の最中、輸送船で南方に派遣されました。その時、フィリピン沖で魚雷攻撃に遭い、船はあっと言う間に沈められてしまったのです。いきなり水中深く投げ込まれ、うねりに巻き込まれ、息もできない苦しみの中、必死で神様に助けを願いながら、もがきました。「もうだめか」と思った瞬間、母の姿が目に浮かんだといいます。すると不思議に体が浮かんで水面に出ることができ、目の前に1枚の板切れを見つけました。それにしがみついて助かったのです。同じ船に乗っていた人たちのほとんどが海の藻くずと消え、助かったのはわずか15人だったそうです。
その後の義父は事あるごとに、その時助けられたことを思い出していたのでしょう。そして命のあること、息の吸えることのありがたさを繰り返し繰り返し神様にお礼申していたのだと思います。そしてまた助けを求めながら次々と波間に消えていった多くの人たちのことを思い起こし、亡くなった人たちの分も生きて、少しでも世の中のお役に立たせてもらわなくては申しわけないという思いでいたように思うのです。
義父が私に諭してくれた、「時には引いたりして、妥協するような気持ちにならないといけないよ」という言葉。その言葉の奥には、「生かされて生きている喜びを土台として、和らいだ心で、全てを大切にさせてもらいなさいよ」という思いがあったのだと思います。自分の意見や立場だけでなく、相手の意見や立場も大切にしなさい。あんたの命も相手の命も、日々神様から賜っているものなのだから。義父はそう教えてくれていたのでしょう。そんな義父のことを思うたびに私自身、人を不足に思う心に振り回されず、生かされていることへの感謝を土台に人の役に立ちたい。そう神様にお願いしている今日このごろです。