師匠の教え


●取次を頂いて
「師匠の教え」

金光教早島はやしま教会
玉井光雄たまいみつお 先生


 私は若いころ、小学校へ勤めていましたが、教会長である父が思い掛けず病に倒れ亡くなりました。
 周囲の者から勧められ、何の心準備もなく金光教の教師になるための養成機関に入学し、卒業はしましたが、私は、教会へ帰ったものの母親と2人で、何からしたらよいか分からず、途方に暮れていました。
 その時、昔、私の父親が修行をさせて頂いた教会から、「しばらく修行に来なさい」と声を掛けて頂き、早速に教会へお参りしました。
 教会は、正面に神様がおまつりしてあり、右手にお結界けっかいと言って先生が座っている一角があります。そこで、お参りになった人の話を聞き、神様に取次ぎ、共に祈って下さいます。
 その教会は、才崎さいざき教会と言い、私に声を掛けて下さったのは、教会長・片岡次郎かたおかじろう先生です。
 先生は、「よう来たのう、さあ神様にお頼みするぞ」と、お結界からご神前へ向きを変えて心中祈念をされました。かなり長い時間を掛けて拝まれてから、私の方へ向きを変えて、「神様へ、お前のこれから先のことをようお願いしたぞ。今日からは、お前は才崎の子じゃ、お前のことは、親の私が全て責任を持つ、これからはお前がしたいことは何でも自由にしなさい」と、ごく当り前のように言われました。
 私はその言葉にビックリしました。私は信心の修行とは、厳しい、苦しいものと覚悟していましたので、こんな信心の世界があったのか、この先生の言うことなら聞いてみようと思いました。
 それから先生の元で、先生と生活を共にしている間に、次第にこの先生に付いて行こうと思うようになり、一方的にこの先生を師匠と頂き、弟子になる決意をしました。
 1年間の修行生活から、私の教会へ帰る時、師匠の部屋へ呼ばれ、「お前はまだ、これから信心の基本を身に付けねばならぬ。当分は私の言うことだけを聞いて信心をしてくれ。周囲の色々な話を聞いたり、見ていると基本が出来ていないから、信心が混乱して我が身に付かぬ。私が、これで大丈夫と思ったら必ず合図をするから、それまでは私の話すことだけを聞いて信心してくれ」と言われました。
 私は師匠の言葉を守り、私の身の上のことや悩みごとをもって、師匠のお取次を頂き、その度に教祖の教えを話してもらい、信心の勉強をしました。
 教会のご用が、やっと軌道に乗ったと思ったころ、とんでもない私の「うわさ」が耳に入って来ました。そのうわさは、「早島の若い者が、親の跡を継いでご用をしていたが、とうとう辛抱出来ず、母親1人を残して、家出をし、行方不明になった」と言うのです。
 私の知らないところで身に覚えのないことが伝わっていくことが承知出来ず、うわさの元を正したいと思いましたが、まず師匠のお取次を頂いてからと、お参りしました。
 師匠はいつものように神様へお願いして下さり、「あのなあ、『うわさ』というものは、誰が流したか犯人探しをするが、それは違う。世間の人は、そんな根も葉もないことを言うような者に関心はない。うわさをされた者が、うわさに対してどう対処するか、どんな受け止め方をして行動するかに注目しているのぞ。お前の信心が試されているのじゃ」と話されました。
 私は世に言う、「うわさ話」が、うわさされる我が身にこんなに大切なものかと、目からうろこでした。
 今日こんにちまでの我が身を振り返り、我流でご用していたら、まさに、この「うわさ」通りの結果になっていただろうと思いました。
 師匠が、私を呼んで下さり、信心の基本を習っているおかげで、今日のようなご用がさせて頂けている。師匠がある喜びを実感し、ますます元気を出して師匠の元へ、いや神様の元へ喜び勇んでお参りしました。
 私はこうして26年通い続けましたが、師匠から、「信心の基本が出来たぞ」と許可が得られないままに、師匠が亡くなりました。
 ところが、師匠が去って5年目の秋、明け方に師匠の夢を見ました。師匠は、私にハッキリと、「お前に今までさせなんだことをさせるぞ、しっかりやれよ」と言われました。その時は何の意味か分かりませんでしたが、その日の午後、1本の電話が入りました。「今度、中国地区教師協議会の講師をお願いしたい、講題は、『我が師を語る』です」と依頼があり、明け方に見た師匠の夢はこのことだ。かねておっしゃっていた信心の基本が出来たら合図をするとは、このことだと実感しました。師匠は、生死の境を貫いてお取次下さったと、思わずうれし涙が、止めどなく流れました。
 以来、私のご用は各方面に広がり、講演依頼、そして私の本が次々と出版され、月刊誌も発行されましたが、ふと師匠のお取次の姿が心に浮かび、今のご用から、次の段階へ進む時と悟り、お取次のご用に専念するようになりました。
 それから今日まで、お参りの一人ひとりのお話を聞き、一緒に神様に祈念し、心に感じたままを話し、納得して頂く日々を重ねている内に、いつしか年を重ねて今日のおじいさんになりました。
 けれど、今なお徐々に、静かに、参拝者が増え続けております。師匠の教えに感謝です。

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