母が私に遺してくれたもの


●先生のおはなし
「母が私に遺してくれたもの」

奈良県
金光教王寺おうじ教会
楠木真理子くすきまりこ 先生


(ナレ)おはようございます。案内役の大林誠おおばやしまことです。今日は奈良県にあります金光教王寺おうじ教会の楠木真理子くすきまりこさんのお話をお聴きいただきます。「母が私に遺してくれたもの」というお話です。

 母が「間質性肺炎かんしつせいはいえん」の診断を受けたのは、今から9年前、私が30歳の時でした。お医者さんからは、「この病気に効く治療法や特効薬はありません。残念ながら、ただただ進行していくだけです」と告げられました。
 その少し前から、母のせきが気になっていましたが、まさか、そんな治らない病気になっているとは思いもかけなかったことで、私の心は不安で押しつぶされそうになりました。
 母を心配する私たち5人の兄妹に対して両親は、「お母さんのこの病気も、私たち家族のための神様の間違いのない働きだから、しっかりと受け止めさせてもらおうね。心配は神様に預けてしまい、先のことを楽しみに毎日を過ごしていこうね」と話してくれました。
 私の両親は、福岡県にある教会で、金光教教師として奉仕していました。両親は人生に起きてくる良いことも悪いことも全ての出来事を、私たち一人ひとりが輝くために神様が用意してくれた演出として、「ありがたく」受け止めていくことに本気で取り組んでいました。このたびの母の病気に関しても、母が足を怪我して病院に行ったことがきっかけとなり発見されたので、病気を心配するよりも、むしろ、病気が発見された過程を「すごいことだね!」と2人で喜んでいる様子でした。そんな両親の姿に、私の心の不安もいつの間にか消えてなくなっていました。
 母は、診断を受けた後も変わりなく、朝は3時半に起きて、教会のお勤めを果たしていました。家族や周りにいる人に対しても、子どもっぽいいたずらで驚かせようとしたり、冗談を言ってみんなを笑わせようとしたり、以前と変わらない、ユーモアに溢れる陽気な母の姿がありました。
 それから3年の月日が流れ、母の病状はいよいよ悪化してきました。せきは一向に止まらず、食事の量も減り、体重も落ちて、それまで変わらずに続けてきた教会のお勤めもできなくなりました。
 「もう長くはないかもしれませんね」と、お医者さんから母の余命が告げられた時は、本当にショックでした。どうしていいか分からず、祈る他に為す術がありませんでした。
 その時、私の頭に初めて、「親孝行」という言葉が浮かんだのです。
 私は小さいころから引っ込み思案な性格で、人前で話すのが大の苦手。普段から口数が極端に少なく、何か質問されてもはっきりと物を言わず、何を考えているのか分からない子どもと見られていました。小学校では不登校になっていた時期もあり、五人兄妹の中で、私が両親に一番心配をかけたと思います。
 そんな私が母に対して何ができるのだろうか…、今の母が一番喜んでくれることは何だろうか…と、自分の人生を振り返りながら考えていると、一本の道筋が見えてきたのです。
 これまで、父も母も、私の性格を知ってか、「金光教の先生になりなさい」とは一度も口にしませんでした。でも、私が「教会の先生になる」と言えば、きっと2人に喜んでもらえると思ったのです。「少しでも母の生きる力になれば」との思いで、そのことを両親に伝えると、2人とも泣いて喜んでくれました。
 そして、私は金光教教師になるため、岡山県にある金光教の学校に入学しました。しかし、その2か月後に母は亡くなります。
 病床に伏せる母は、最後の最後まで、不平や不足を一言も口にすることはありませんでした。きっと体は痛くてきついはずです。病室には、人工呼吸器を着けて、ベッドで横になり、合掌を続ける母と、すべてを神様に任せ切り、一心に祈る父の姿がありました。母の最期は、その場に居合わせた誰もが「かっこよかったね!」と口を揃えて言うほど、すてきな光景でした。
 思い返すと、母の大病という、私たち家族にとっては大変つらい状況の中にあっても、家の中には不思議といつもありがたい雰囲気が流れていたのは、母が自分の身にどんなことが起きても、それを神様の間違いのない働きとして、尊んでいく姿があったからだと気づかされました。
 母が病気になるまでは、仕事をして、結婚をして、家庭を築くという漠然とした人生計画しかなかった私ですが、母の病気を通して、私自身の生き方や考え方に変化が生まれ、絶対にならないと決めていた教会の先生を目指すことにもなっていきました。
 私は、神様を信じて何が起きても全てを「ありがたい」と受けていく母の姿や生き様に触れて、「私も母のように生きてみたい」と思うようになっていました。私にとって、母は今でも、そしてこれからも、一番身近なお手本なのです。

(ナレ)いかがでしたか。楠木さんは、お母さんの病気がきっかけとなって、金光教教師として生きる道を選びました。その決心を聞いた時、ご両親は泣いて喜ばれたといいます。それはうれしかったでしょうね。これまでずっと求め続けて来た信心に基づく生き方、物事の捉え方、いわば自分たちの人生そのものを、わが子が丸ごと認めてくれたんですから。
 それにしても、自分にとって都合の良いことだけでなく、病気や死までも含め、すべてを恭しく受け止めて、そこから喜びを生み出していく。信心には、そこまでの力があるんですね。

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