●私からのメッセージ
「ただ、知覚過敏だと思っていたら」

滋賀県
金光教大津教会
高阪有人 先生
おはようございます。私は、滋賀県大津市にあります金光教大津教会の髙阪有人と申します。私は、先日、親知らずを抜きました。ただ知覚過敏だと思っていたのですが、いつの間にやら親知らずを抜くことになっていました。その顛末と、思いがけず得ることができた気づきを今日はご紹介したいと思います。少々、お付き合いいただきたいと思います。
数年前のことです。ある日、水を口に含むと、右下の奥歯にキーンとした痛みが走りました。突然のことに驚きましたが、毎回ではなかったので様子を見ていました。しかし、「これは虫歯かもしれない」と思い、久しぶりに歯医者を受診しました。大人になってからは歯にトラブルもなく、小学校以来の歯医者通いです。虫歯だと思うんですが、と、恐る恐る診てもらうと、先生は一言、「虫歯ではありません。知覚過敏ですね」。原因は加齢による歯茎の後退。塗り薬を塗ってもらい、10分足らずで治療は終了しました。安堵したものの、「加齢」と言われたことに、当時はまだギリギリ30代だった私は軽くショックを受けました。
その後は痛みも治まり、知覚過敏のことも忘れていました。ところが2年後、同じ場所にまたあの痛みが。再度受診すると、やはり「知覚過敏です」との診断。ただし今度は、「次に痛みが出たら薬は効かないかもしれません。通院してもらって歯茎のケアを定期的に行う必要があります」と言われました。それでも痛みが消えると気にしなくなり、日常に戻ってしまいました。
そして、先日、これまで以上の強い痛みに襲われました。これはさすがに知覚過敏ではないぞと、すぐにでも受診したかったのですが、それは連休なか日の夜のことでした。連休中はいつもの歯医者はお休みです。しかし、眠れないほどの痛みは治まりません。そんななか、連休中でも診察している歯医者を探し、翌朝一番で駆け込みました。
まず、レントゲンを撮ってもらいました。そして、その画像を映し出すディスプレイがついている診察台で、先生から丁寧な説明を受けました。「右下の奥歯を押すように親知らずが隠れている可能性があります。あるいは上の奥の親知らずが神経に触っているのかもしれません」と。また、この辺りの神経はすぐに繋がり、どちらが原因で痛いのか分かりにくいことも教えてくれました。さらに、虫歯とも言えない最初期の虫歯が2カ所見つかり、奥歯が治まったらこちらの治療もしていきましょうということになりました。ここでの診察はとても丁寧で分かりやすく、週1回の通院を始めることにしました。
通院から1カ月ほど経ったある日、強い痛みで再び受診すると、「上の親知らずを抜きましょう」と言われました。その歯は普通の歯のように生えていたので抜歯も比較的簡単だとのことでした。もう抜いてしまうから最後にと、鏡を使って位置を見せてくれ、なんとかその存在を確認できました。そして無事に抜歯。先生が、抜いた歯を私に見せながら、「抜いた親知らずに、大きな虫歯がありましたよ。奥歯の影に隠れていましたね」と苦笑いして教えてくれました。これまでの痛みの原因は、知覚過敏でも、親知らずによる炎症でもなく、レントゲンに映らない位置の大きな虫歯だったのです。
こうして長年の痛みの謎は解けました。歯医者という専門家、洗練されたテクノロジーがあっても、場合によっては虫歯一つが見つけられないこともある。自分自身に限ってみても、今の暮らしは、快適、便利で、スマホですぐに情報が手に入り、どんなことも知っているような気になっていますが、それは分かったつもり、知ってるつもりなんだな、自分の歯の痛みの原因一つ分からない。まだまだ人間ってちっぽけなんだなと思ってみたりしました。
と同時に、痛みの原因というところから、金光教のみ教えにある「みな、病気の名前や病気のもとは不思議によく知っているが、おかげの受けられるもとを知らない。病気のもとよりは、おかげのもとをたずねてみよ」という教えがふと思い浮かびました。この教えは、不幸の原因探しばかりに目を取られないで、喜びのもと、神様からの恵み、おかげに目を向けてみてはどうでしょうか、というものです。
この教えに触れて、改めて一連の出来事を思い返すとその意味が変わって見えてきました。当初、加齢による知覚過敏と言われたことも、ちょっとショックでしたが、もう若くないんだよという体からのシグナルとして多かれ少なかれ受け止めましたし、連休中に歯が痛んだのも、違う歯医者に行くことのきっかけになりました。また、その歯医者では、レントゲンで自分の歯の状態を詳しく知ることができた。また、何より虫歯が痛んでくれたおかげで、治療を受けなければならないことを知らせてくれたし、その過程で、正しい歯磨き、デンタルフロスをつかった口腔ケアのやり方を勉強できたりと数えきれない今後の健康にとって大切なことを身につけられました。
そんなこんなを思うと、まだまだ人間は、なんて思ってるより、この出来事に散りばめられている「おかげ」に目を向けて、ありがとうを探して、感謝したほうが心も軽やかになるし、神様は必要な時に必要なことを、たとえどのような形であったとしても伝えてくださるんだと、その存在の感触に、私は、何かしら心が温まる思いがするのです。
