●先生のおはなし
「あの夏の涙」

兵庫県
金光教清滝教会
中村隆平 先生
(ナレ)おはようございます。案内役の大林誠です。
今日は兵庫県、金光教清滝教会の中村隆平さんによる「あの夏の涙」というお話です。中村さんは高校3年の夏、神様と出会って「なりたい自分を発見できた」と言われます。どんな出会いだったのでしょうか。そしてその時、何を思ったのでしょうか。
今から28年前の夏、高校3年生の時、私は勉強が大嫌いで、勉強をする意味も分かっていなかったので、卒業したら就職してお金を稼ぎ、一人暮らしをして自分の好きな物を買い、誰にも迷惑をかけずに自由な生活がしたいと考えていました。しかし、何もやりたい仕事がなかった私は、「大企業で週休2日の会社に就職したい」と、曖昧な考えしかなかったため、進路指導の先生に怒られていました。そんな時、ある人からキャンプに誘われました。
実は私、曾祖母ちゃんの代から金光教の信仰をしている家で生まれ育ち、小さい頃から金光教三田教会のみつばちフォーゲル隊という青少年育成団体の集会に参加していました。春はハイキング、夏はキャンプ、秋はバドミントン、冬はスケートなど、年上のフォーゲルリーダーが一緒に遊んでくれましたので、家でも学校でもない「第3の居場所」と感じるほど、居心地の良い環境で楽しく過ごしてきました。
誘われたのは高校生年代を対象としたソアリングキャンプでした。岡山県の金光教本部で夏に開催され、宿舎に泊まって布団で寝られて、食事も作ってもらえたので、はっきり言ってキャンプではないですね。無言で山に登ったり、ひたすらトイレ掃除をしたり、神様や自分のことを深く考えていく修行のような怪しい合宿でした。高校2年生の時に初めて参加したのですが、毎年参加していた楽しい野外キャンプとは違っていたので、「何でこんなことせなあかんねん」と、意味が分からないまま終わった経験がありました。なので、再びキャンプに行く必要は全くなかったのですが、実は嫌なことばかりでもなかったんですね。そのキャンプで東京や名古屋、広島、山口など全国にいるフォーゲルの仲間と初めて出会い、各地の方言がとても面白くて、世界が一気に広がったような気もしました。そして何より、私のように文句を言っていた人ばかりではなく、真剣にプログラムに取り組み、目をキラキラさせ、私よりイキイキと楽しく生きている人達が沢山いたのです。私は何だか負けたような思いにもなっていました。
ですから高校生最後のソアリングキャンプは複雑な思いで参加しました。単純に「友達にまた会いたい」という思いが強かったのですが、「あの面白くもないプログラムをまたやるのか」と、嫌な思い出も蘇ります。しかし、キラキラと輝く他の同級生達のことも気になり、「私も何かを感じて帰りたい」という思いも密かに抱いていました。
高校生の私は、神様の存在を信じておらず、あまり考えたことがありませんでした。でも、もし神様がおられるなら、「自分に向いている仕事を教えてほしいな」という素朴な思いはありました。私は生まれて初めて真剣に神様にお願いしてみようと思い、教祖様のお墓の前で「生神金光大神様」という御神号を、ただひたすら一心に唱え続けるプログラムに取り組みました。「生神金光大神」というのは教祖様のお名前ですが、教祖様にお願いすれば天地の神様にも通じると教えられていたからです。
最初は勢いよく大声でお願いしていましたが、何分経っても神様からのお返事はありません。「自分は何をしてるんやろう…お願いしても意味ないわな」と、いろんな思いが湧き出てきます。口では必死に唱えながら、キャンプの中で「自分と繋がっているもの」は何かという課題に取り組んだことを思い出し、知らず知らずのうちに、「生きるには一番何が必要かランキング」をずっと考えていました。両親や兄妹、友達や学校、バスケットボール、自転車、電気、水道、ガス、家、音楽、お金、名前、体、性格、心。「何がないと私は生きられへんのやろう?」と考えていると、ふと「そうや! 天地がないと一秒も生きられへんわ」と思いました。その瞬間、目の前がパーッと明るくなって私はボロボロと泣いていました。
自分でも信じられないようなことでしたが、17年の人生の中で、心の底から生きていてありがたいと感じる瞬間を味わいました。「どんな仕事が自分に向いているのか?」そんな疑問は些細なこととなり、悩んでいることすらありがたいと思える自分になっていました。やりたい仕事は見つかりませんでしたが、「この幸せな気持ちを毎日感じられる人になりたい」という、なりたい自分が見つかったのです。
(ナレ)いかがでしたか。
生きていくには何が必要か。中村さんもいろんな例を挙げていますが、一つとして欠かすことができず、一つとして自分の力でできたものはないんですね。いわば天地が総掛かりで自分を生かしてくれている。それに気づいた時、その不思議さとありがたさに、中村さんは底知れぬ感動を覚え、これが神様なんだと悟ったんですね。
中村さんは、天地に生かされるこの喜びを、多くの人と分かち合いたいと願うようになり、今は金光教の教師として、神様に奉仕する日々を生き生きと送っています。