今日はおかげ日


●信心ライブ
「今日はおかげ日」

金光教放送センター


(ナレ)おはようございます。今日は、大阪府金光教河内松原かわちまつばら教会の前田信忠まえだのぶたださんが、2023年6月、難波なんば教会でお話しされたものをお聞きいただきます。
 前田さんは今年、79歳。週3回、人工透析を受けています。体調が万全でない中でも、自分に頂く役割は、神様が使ってくださる御用なのだと、進んで勤めておられます。
 前田さんのお父さんは、太平洋戦争が始まる前、北九州の八幡製鉄所に勤め、近くの金光教の教会にお参りしていました。当時の製鉄所はとても活気がありました。経済的にも恵まれ、結婚もし、幸せな生活を送っていました。
 何もかもが順調だった中、お父さんが肺に膿がたまる病気で入院することになったのです。それは、前田さんが誕生する前の出来事でした。もう助からない、と思った前田さんのお母さんは、教会に参拝したのです。

(前田)母が看病をしておりましたら、体調が悪化し冷たくなっていく父を見ながら、夜中でありますけれども、教会へ飛んでいって、「ただいま、息を引き取りました」と親先生に伝えるつもりでお参りをした。すると、「今日は、教会の月次祭。おかげ日やで。おかげ頂きや」と言われたので、「今、息引き取りました」とは言えなかったのです。そのまま、病院へ帰っていきました。病院に着いた瞬間に、「おおっ」と喉から詰まった物を吐き出すようにして、ゲップを出して、そのまま、おかげを受けてくれたんです。

(ナレ)前田さんは、お父さんが大病を患いながらも、奇跡的に命が助かったことを、両親から何度も聞いていました。もし、お父さんが助かっていなければ、自分は生まれていない。二人の命をつなげていただいた神様の働きに、前田さんは大きな思いを感じるようになりました。
 大阪に戻った後も、家族で教会参拝を続け、信仰を大切にされました。そして、教会の先生の「大きくなったら、御用させてもらいや」という言葉が、不思議と心に残っていた前田さんは、その後、金光教教師を志しました。迷いいが起きた時、支えとなったのは、「どうしたらよいかわからない時でも、迷わず、飛び込んでみれば、神様にお守りいただける」という先生の言葉です。
 ある時、大切な祭典の当日に、前田さんは交通事故で足に大けがをしました。

(前田)河内松原の私の親が、私の左足をポンと触って、「あっ、折れてるがな。もうすぐお祭りやで。しっかりおかげ頂きや」その一言で、「そやな、御用の中で起こったことは、御用の中でおかげを下さるんじゃ。母が、私の父が今亡くなりましたと伝えに行ったところが、『今日はおかげ日やで。おかげ頂きや』。この世界を改めて、私に今、ここで見せて下されたなぁ」と。そう思うた瞬間、「そうだ、このまましっかりおかげを頂こう」と。最初、頭の先までしびれるほどの痛みと苦しみがありましたけれども。ご神前に出た瞬間に、足の痛み、うずきがすぱっと無くなって、そのまま御用させていただき、そのままで終わらせていただきました。

(ナレ)神様の御用を通しておかげを頂くという強い信念で、乗り越えられたのです。
 70歳の時には、ソフトボールの大会で、バッターボックスに立った時、心不全に見舞われました。懸命な救命措置を受けながらも、数日間、意識不明の状態が続きましたが、奇跡的に回復して、現在まで、教会長としての役割を担っておられます。

(前田)親先生の命の中で、今日も、このように生かされております。70歳で、心肺停止40分間という、そういう非命というのか、容易ならぬ事柄が私の身の上に起こってまいりました。その40分間、もっとほんとは、意識は何日もございませんでしたから。命を頂いてありましても、目覚めなければ御用はできませんので。その無い働きが、改めて、命目覚めたんであります。その日から、本当に、欲得ではなしに、今日、今、私に与えてくださってある、そのご神縁。その働きは、もったいなくも、神様がお使いくだされる御用やと思って、一心にそこのところを大切に頂いておりましたら。させてもらうこと、本当に、できてくることが、うれしくて、うれしくて。なんぼでも、御用にお使いくださいと、今日、申し上げておるような次第でございます。

(ナレ)いかがでしたか。父親の命が助からなければ、生まれてこなかった自分。心不全で意識を無くす中、目覚めさせてくださった神様の力。神様が自分を守り導いてくださっている。そのことを自覚できれば、どうにもならない事柄に出くわしても、こんなにも力強く、心を元気にできるのですね。

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