●信者さんのおはなし
「一滴のしずく」
金光教放送センター
(ナレ)千葉教会に参拝している青木吉子さんは、大学、実業団と、バレーボールで心身を鍛え頑張ってきた、ハツラツとした女性です。大学の時、柔道部だった彼と出会い、その後結婚しました。けれども、夫のある問題で、心も体も傷付き、夫婦の危機が訪れました。その時のお話を伺いました。
(音源)結婚して、私自身も13万くらいお手当を頂いて、主人のお給料も頂いていたので、金銭的には全然問題なかったんですけど。結局主人が、パチンコが好きで、営業をやっていたので、外に出ると時間潰しにパチンコをするわけですよ。
それで要はお金をクレジット会社から借りる。1日で4万とか。そういうのが月でもう10万になってしまったりとか。
勝ったらこっちには戻ってこないんですよ。無くなった時だけ、「くれくれ」って言われて。
でも、すごくイライラした顔して帰ってくると、「ああ負けたんだな」って分かるし。ただ楽しんで行くならいいけど、負けた時にイライラした顔されるのは最悪だと思ってました。
(ナレ)吉子さんは、親に心配を掛けたくなかったので、ずっと誰にも言わず我慢していました。しかし、当時幼稚園だった長女の前で、食器棚のガラスを壊すような激しい夫婦げんかをし、長女はチック症になってしまいました。それをきっかけに、実家の両親に初めて打ち明けました。
(音源)両親からは、「結論を出す前にちょっと離れた方がいいんじゃないか」と言われました。それで一年間、実家に帰らせてもらって、その時にうちの父が即、「日参しなさい」って言ったんですよ。
私は、父が鬼だと思いました。苦しくて苦しくてしょうがなくて、外にも出たくないのに、誰とも会いたくないうつ状態なのに。願いたくもない、願うのが一番苦しいって言ってる本人にお父さんは「日参しなさい」と言うんだって思ったけど…。でも、言い返せなかったというか、やっぱり自分の中で親不幸をしているなと思ったので、だから自分のためにじゃなくて、両親に安心してもらうためにお参りをしました。
だけどお参りすると、毎日必ず教会長先生、「吉子ちゃん、元気な心でね、信心させていただきましょうね」と必ず一言だけ掛けてくださいました。
ある日、その先生が目を真っ赤にされて「教師という立場であれば、『信心しておかげを頂きましょうね』と言うのが、私の役目なんだけど、でも、これまで頑張ってきた吉子ちゃんには、そう言うのは酷だわね」って言われたのがきっかけで、肩の荷がすーっと何か解き放れました。
そこに先生が掛けてくださった言葉によって、「あっ、自分がお参りをさせていただいているんだ」という思いに変わった瞬間だったと思います。両親のためと思っていたけど、でも先生はずっと私のその姿を見ながら願い続けてくださっているんだという、思いに触れた瞬間だったと思います。当初は、祈ることも願うことも、逆に祈られることも願われることも苦痛でした。「かなわない。通らない」と思っていたから。「何で神様は願いを聞いてくださらないんだろう」という思いが募ってきてしまうんです。
でも、それがきっかけで、何となく水滴がぽたって垂れたのが、ふわっと色が変わるというか、どんなに何を注がれても真っ黒だった水がいきなり白くふわっと変わるというか、不思議な感覚でした。そういう瞬間でした。あれは一生忘れられない。
時間があれば考えてしまう。でも、それを神様にお預けして、後は大らかな気持ちで過ごさせてもらおうという思いに変わりました。
それでも夫といくら話をしても平行線が続いていました。そのことをお取次を頂いた時に先生が、「それはね、言いたいことを言おうとしても、相手の状況が最悪の時に言ったところで、感情的なものしか伝わらないよ。とにかくそれは神様に一旦お預けして、『言わせていただく時節をどうぞ神様、頂けますように』と、願いに変えていきましょう」と言われました。
相手を責めたところで、理解はし合えないんだなと思いました。自分自身の心をすっきりさせたいと思ってる時というのは、相手を責め立てる心しかなくて、そう思っている時にいくら口論しても結局は平行線にしかなりません。でも、どんな悪い事でも相手の目線で考えて、妻の立場でなくて全く違う人の立場で考えた時に、初めて責め立てた気持ちより、まず相手を分かってあげる、理解してあげるという気持ちが生じると、腹の立つ気持ちが何というのかな、不思議と収まる。不思議と話が交わるようになりました。
(ナレ)いかがでしたか?
一滴のしずくが吉子さんの固い心をほどき、神様に全てをお預けする気持ちになれました。そして、相手を責める気持ちが消えていきました。
その後、思い掛けず吉子さんのご主人が仕事で上海へ行くことになります。このことをきっかけに、吉子さん夫婦は再スタートを決め、新天地で温かい家庭を作り上げていくことになりました。