人を思いやる心


●信者さんのおはなし
「人を思いやる心」

金光教放送センター


(ナレ)愛知県刈谷市にある、金光教三河刈谷みかわかりや教会にお参りする大畑貞司おおはたていじさんにお話を聞きました。
 大畑さんは、昭和23年生まれの74歳。5人兄弟の次男として、静岡県に生まれました。共働きだった両親は忙しく、同居の祖母が、大畑さんたちの面倒を見てくれていました。
 金光教の信心を熱心にしていたおばあさんは、大畑さんの手を引いて、よく教会へお参りしていました。両親と過ごせなくても、寂しさを感じさせない楽しいひと時。大畑さんは、おばあさんの人柄を通して、人を慈しみ、思いやる豊かな心を育んでいきました。

(大畑)おばあさんがやっぱりすごかったですね。昔は、物乞ものごいの方が多かったんですよ。うちは貧乏だったけど、とにかく、お米をちょっとあげたり、麦をあげたり、そういうことはやってたんですよね。まあ、他のところは癖になるからやらないということはあったんですけど、おばあさんは、とにかく人を思いやるということは、すごく強い人かなと思いますね。

(ナレ)大畑さんは幼い頃からサッカーに明け暮れ、大学を卒業するまでに多くの大会で優勝する経験を重ねました。おばあさん譲りの、人を思いやる心をチームプレーに生かし、選手として活躍したのです。そして、サッカーチームのある会社に就職しました。
 好きなサッカーができればそれだけで十分だと思っていましたが、やがて責任を伴う職務も任されるようになっていきます。そんな中、30代の終わり頃から、なぜか直属の上司から厳しい叱責しっせきを受けるようになったのです。

(大畑)係長の時、上司から毎朝呼ばれて、みんなの前で叱られる。それが一時間だとか、それぐらいですね。最初は何のために怒られてるかっていうのが飛んじゃって。とにかく、そんなのが毎日続いたことがありましてね。結局はその時に一回妻にも「辞める」と言って、まあ、妻も「辞めてもいいよ」と言ってくれて。次の日すっぽかしたんですよ。そしたらその晩に、その上司の人から電話がうちへ入りましてね、「大畑君、悪いけど明日、一回顔だけでも出してくれ」って言われて。まあ、そっからはちょっと、セーブしてくれるようになったんですけど。

(ナレ)退職は思いとどまりました。そして、つらい気持ちを抱えながらも、「上司は自分を育てようとしてくれているのではないか」と思い直し、同じ職場で仕事を続けました。
 40代の終わり頃、思ってもみなかったことが起こります。何とその上司が、大畑さんの昇進を会社に後押ししてくれたのです。

(大畑)まあ結局、今思うと、その方のおかげで、今の自分があるのかなと。その方が結局私を押してくれたんですよ。たまたま私が大卒だったもんですから、その頃はまだ高卒の人でも優秀な人がいっぱいおったんです。それで私が課長だなんて、全然そんな出世とか私は思わんで会社に入ってますからね。「とにかくやればできる。やってみろ」とか言われちゃって、その上司の方にですね。一方では「なんだよ」っていうようなことがあったんですけど、やっぱり思い返すと、私を押してくれたっていうねえ、それがやっぱり、すごく感謝せないかんなと思って、そうでないと、今の自分の生活がなかったと思うんですね、やっぱり。

(ナレ)大畑さんにとって、この昇進はありがたいことではありました。けれども、職責を果たそうとする強い思いが、大畑さんの心を、知らず知らずのうちに苦しめていったのです。

(大畑)職務は結局与えられたんですけど、やっぱりすごいプレッシャーがあって、一時期パニック障害になったんですね。とにかく車の運転ですね。出張にも行かにゃあいかん、車を運転せにゃいかん。そうするとね、トラックにガーっと挟まれちゃうと、怖くなっちゃって。後は電車ね。混雑した電車に入ったらもう、息ができなくなっちゃう。それがしばらく続きましたね。

(ナレ)常に薬を持っていないと不安になってしまいます。そのことは教会の先生にも伝えていました。先生は大畑さんのことを以前からずっと祈ってくれていました。ある日の病院帰り、教会にお参りした大畑さんに、教会の先生は、「今もらってきたそのお薬を、ありがたく頂きなさいよ」と話してくれました。それからの大畑さんは、症状が出た時も心を落ち着かせ、祈りながら薬を飲むことを心掛けるようになりました。

(大畑)そういう症状が出ると、わきに車を止めて、しばらく「金光様、金光様」と念じて、唱えながら、しばらく休んで、それからまた走らせてもらってました。ずっと私も長引くかなと思ったんですけど、ある時ほんとにピタッと止まっちゃったんですね。

(ナレ)どうしてパニック障害になり、どうして症状がなくなったのか、はっきりしたことは分かりません。もしかすると大畑さんは、自分の会社はもちろん、取引先や会社の仲間、その家族のことを思うがあまり、昇進による職責の重さを、自分一人で背負い過ぎていたのかもしれません。
 教会の先生との関わりのなかで回復へのきっかけを得て、その後も昇進を重ね、無事に定年を迎えることができました。
 そして今も、仲間とサッカーを楽しむ大畑さん。「サッカーができる、孫の世話もできる。何事も当たり前ではない、ありがたいことだ」と神様に感謝しながら、人を思いやる心を育ててくれたおばあさんのように、孫との時間も大切にして暮らしています。

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