●ラジオドラマ「坂下の小さな店で」
第8回「餅つきの後で」

金光教放送センター
登場人物
・瀬戸内しげの (70歳) 坂下の店の主人
・瀬戸内修造 (72歳) しげのの夫 元小学校の校長
・中村憲太 (13歳) 中学校一年生
・中村良子 (40歳) 憲太の母
・ミツ(声) (故人) 修造の母
しげの(M)
坂の下にあるということから「坂下の店」と呼ばれている何でも屋をやっている私はしげのです。70歳です。
しげの(M)
今年も年の暮れとなりました。
SE (餅つき)
修 造:しげのー。餅とり粉を持ってきてくれー。
しげの(M)
夫の修造です。2つ年上で元は小学校の校長先生です。
良 子:こんにちはー。
しげの(M)
坂の途中のマンションに住むお母さんと中学生の息子さんが店の前へやってきました。
良 子:あの、お仲間に入れていただけたらなって。
しげの:どうぞどうぞ。
修 造:見ているだけならそこのたき火のそばで。お餅つくのなら…。
良 子:憲太、お前、お餅ついてみる?
憲 太:うん!
修 造:これは、きねだ。さあ、やってごらん! 右手が上で、左手が下だ。
憲 太:こうだね。せーの!
修 造:ほっ! ペッタン…よいしょ! ペッタン…。
憲 太:えーい! ペッタン…ペッタン…。
修 造:(叫ぶ)い、いたっ。あいたたた…。
憲 太:ご、ごめんなさーい。
良 子:(オロオロして)憲太。おじさんの手、手をよく見て…。
憲 太:おじさんが手を引っ込めなかったからじゃないか!
良 子:またそうやって口答えをする。だからお父さんとけんかばっかりしているのよ。
憲 太:お父さん。一人でカンボジアへ行けばいいんだ。何だ、こんなの! えーい!(きねを投げ捨てる)
良 子:な、何をするのよ!
憲 太:僕、帰る!(去る)
良 子:憲太! …きねが…汚れてしまって…。
修 造:い、いやいや…。
良 子:す、すみません。後ほどおわびに。憲太! ま、待ちなさーい!(憲太を追って去る)
修 造:大丈夫かなあ…。
しげの(M)
お餅つきが終わりました。鏡餅を神様とご先祖様にお供えして、私たちはつきたてのお餅を頂きました。
修 造:うまい! あんころ餅も良いが、辛味餅も…。
良 子:(OFFで)ごめんくださーい。
しげの:お客さんだわ。は、はーい!
良 子:先ほどはどうも…。
しげの:あ、憲太君のお母さん。
良 子:…おわびに伺ったんです。ご主人様の手、いかがですか?
修 造:やあやあ。
良 子:どうもすみませんでした。あ、あの…。
修 造:もう何ともないですよ。さっきからおはしを使ってパクパクと。お母さんもご一緒にいかがですか?
良 子:い、いいんですか?
しげの:甘いのでも辛いのでも。さあどうぞ。
良 子:では、遠慮なく…。(SE 食べる)…おいしい!…家族って…。
しげの:…えっ?
良 子:こんなにも…こんなにも平和なものなのかしらって…。主人が来年の春にカンボジアへ転勤することが決まってから、息子荒れちゃって。転校はしたくないって。昔は素直でいい子でしたのに…。
しげの:息子さん、中学生?
良 子:はい。1年生です。
しげの:じゃ、反抗期なんじゃありませんか?
良 子:…はい。どんなに言っても、懇切丁寧に説明をしてやっても、いくら口を酸っぱくして注意をしてやっても…。
しげの:(苦笑い)うちの息子もそうだったわ。自立に向かって歩き出す時期がやってきたんですよ。だからお母さんも必死になってそんな息子さんと一緒に歩いてあげなきゃ!
良 子:…私が、息子と…一緒に歩く…?
修 造:そうそう。おふくろがよく言ってたなあ…。
ミツ(声):しげのさん。父親も母親も、子どもと同時に生まれたの。だから育たなければならないのよ。子どもと一緒にお父さんも、お母さんも…。
しげの(M)
5年前に亡くなった夫の母親のミツさんの声が、私の胸に響いてきました。
しげの:(しみじみと)お餅つきと同じなんですねえ、子育てって。
良 子:…お餅つきと?
しげの:(笑って)だって手を引っ込める時に、引っ込めないと…。
修 造:あいたたたっ…! と、なるからなぁ。(これも笑う)
良 子:…あの、どういう意味なのでしょうか…?
しげの(M)
私は憲太君のお母さんにミツさんの言葉の意味を伝えました。
しげの(M)
次の日となりました。
憲 太:(OFFで)おじさーん。おばさーん。
しげの:憲太君! いらっしゃーい。(奥に向かって)あなたー。
修 造:いらっしゃい。
憲 太:昨日、母がお土産にもらってきたお餅のお皿を返しにきました。
しげの:いつだって良かったのに。おいしかった?
憲 太:お餅もおいしかったけど、お母さんが何だか変わって…。
しげの:どういうこと?
憲 太:いつもガミガミ叱るばかりで僕の言うことをちっとも聞いてくれなかったのに…。
しげの:…えっ?
憲 太:「憲太を信頼してるから」って。「お父さんの転勤についていくかどうかってことも、よく話し合って決めましょうね」って。
しげの:それは良かった。
修 造:良かったな。
憲 太:じゃ、また…。(去る)
ミツ(声):しげのさん、そうですよ。子どもに親があれこれと手を掛けているうちは、神様は、自分の出番じゃないと思って、手を出しにくいものなのですよ。
音楽 (END)
