ラジオドラマ「坂下の小さな店で」第1回「春ですもの」


●ラジオドラマ「坂下の小さな店で」
第1回「春ですもの」

金光教放送センター

しげの(M)
 ここは町外れです。なだらかな丘があり、坂道を下った所にある何でも屋、「坂下の店」をやっている私は瀬戸内しげのといいます。70歳です。

しげの(M)
 3月も終わりとなりました。

しげの:いつもの背広じゃまずい? 三つぞろいにしましょうか?
修 造:(笑って)卒業式じゃあるまいし。

しげの(M)
 夫の修造です。2つ年上です。60歳まで小学校の校長先生を勤め、その後は不登校の子どもを支える仕事をしてきましたが、今日でそのお役目も終わりとなりました。ご苦労様でした。

修 造:じゃ行ってくる。
しげの:持ったの?
修 造:え、何を?
しげの:夕べ書いていた…ホラ!
修 造:あ、お礼の言葉、か。忘れてた。えーっと…(奥の部屋へ)
しげの:急いで!
修 造:うん。じゃ!
しげの:気を付けてね。…ああっ、お、お弁当!…忘れて…!

 客 :ごめんくださーい。お味噌下さーい。
しげの:ハーイ。どうぞ。
 客 :いつもありがとうね。

しげの(M)
 おなかが、すいたなあ。あ、お昼だわ。…そうだ! さっきのお弁当!

一 樹:…あのー、スミマセーン。
しげの:いらっしゃいませー。
一 樹:お弁当。置いてますか?
しげの:カップラーメンしか。お湯ならあるけど。
一 樹:(弱って)…あの、おにぎり、とかは?
しげの:それもあいにく。見掛けない方ですね。
一 樹:坂の上で今度、工事が始まるんです。設計を頼まれて。
しげの:何が出来るの? 元、幼稚園があった所に。
一 樹:幼稚園があったんですか?
しげの:子どもの数が減っちゃって…。
一 樹:デイケアサービスの施設が出来るんですよ。
しげの:お年寄りの?
一 樹:ええ。
しげの:こんな不便な田舎に?
一 樹:送迎バスが出るそうですよ。…腹、減ったなぁ…。
しげの:(一樹が気の毒になる)…あの、これ。
一 樹:…え?
しげの:主人が忘れていったの。おいしいから。…さあ!
一 樹:いいんですか?
しげの:いいのよ。
一 樹:それじゃ遠慮なく。(食べる)う、うまい! うまい! 桜の花がご飯の上にチラチラって。風流だなぁ…。
しげの:春だから。
一 樹:(ウッと、泣く)
しげの:(驚いて)ど、どうしたの?
一 樹:ご主人、幸せだなあ。うちじゃ、ささいなことで言い合いばっかりしています。
しげの:そりゃ夫婦だから。うちだってけんかは日常茶飯事ですよ。
一 樹:教えてください! どうすればおばさんとこみたいに夫婦が仲良く暮らせるのか!
しげの:そんなことを、突然言われても…。

ミツ(声):(唐突に)…川を、渡る…。

しげの:あっ、ミツさんの声だ!

しげの(M)
 5年前に亡くなった夫の母親のミツさんの声が私の胸に響いてきました。

ミツ(声):…川を、渡る…。けんかをしているときには夫婦が、川を渡っているんですよ…。

しげの:よく言っていたわ。あたしたちがけんかをするたんびにいつもミツさん…。

修 造:しげの! グズグズするなー!
しげの:分かった!
修 造:川幅が狭いのはこっちだぞー!
しげの:流れが緩いのはこの辺りよ!
修 造:浅瀬を選んでな! おっと、大きな石が!
しげの:大丈夫よ! さっ、早く渡りましょう!

しげの(M)
 けんかをしながらあたしたちいくつもの川…川を一緒に渡ってきた。だから困ったことの激流に足をすくわれずに済んだのかも…。

しげの:(一樹に向き合う)…あのね、夫婦が仲良く暮らす秘けつは…。
一 樹:は、はい。
しげの:けんかをしているときでも、いつでも一緒に川を渡るってことなんだと思う…。
一 樹:…ハ、ハァ…。
しげの:…私たち、結婚して45年が経つのよ。その間にはいろんなことがあったわ。娘は、小さな頃はぜんそく持ちだったし。息子は、サッカーの試合中に頭に大けがしたり…。受験に、就職に、結婚に。私の親が年を取ってからは介護もあったし。いろんなことが起きるたんびに私たちけんかばっかりしてた。でも、そんな時にも…今考えれば、川を一緒に渡ってきたんだと…思う…。
一 樹:川を…分かりました…。
しげの:川を渡れば渡るほど、夫婦って仲良しになれるものなのよ。
一 樹:ハイ!…お弁当、ごちそうさまでした。おいくらですか。
しげの:いいのよ、そんな…。
一 樹:元気になれました。じゃあ…。

            SE (カラス)

修 造:ただいまー。
しげの:おかえりなさーい。
修 造:お向かいの林さんにそこで会って。誘われてつくし摘みに川まで行ってきた。
しげの:じゃ卵とじにしましょう。
修 造:危うく川へ落っこちそうになったよ。(笑う)
しげの:(笑って)大丈夫よ。私も一緒に。
修 造:うん?
しげの:あなたと手をつないで川、川を一緒に渡るの。いいでしょ!

ミツ(声):そうそう。春ですものね!

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