祈りの力


●先生のおはなし
「祈りの力」

金光教越知おち教会
西川英資にしかわえいすけ 先生


私は、金光教の教会で奉仕しています。数カ月前のこと、いつも参拝されるAさんから病気に関する報告がありました。Aさんは、「この度、病院のエコー検査において肝臓と胆嚢たんのうに小さな影が見付かりました。より詳しく検査が必要で、がんの恐れもあるとお医者さんに言われました」と、神妙な顔付きでお話しされました。
 それを聞いた私は大変心配しました。「Aさんは大丈夫だろうか。もしかするとがんではないだろうか。手術で治るのだろうか。手術は難しくないだろうか」と、Aさんのことを先へ先へ心配していました。
 金光教の教会では、御祈念帳という、お参りになった方の願い事を記すものがあります。それを見て教会で奉仕する者が日々神様へお祈りをしています。御祈念帳は教会設立当初からの分が全て保管されていますので相当古いものまであります。
 60歳のAさんは祖父母の代から信仰していますので、Aさんが生まれた時からのお願い事などが保管されてありました。
 そのことをふと思わせられ、古いご祈念帳を引っぱり出してきて、Aさんの名前を探しました。ありました。名前の後に「無事出産」と書かれていました。願い主はAさんのおじいさんでした。3歳のころには、「塀に上って遊んでいて、頭から下に落ちた後嘔吐する。無事の祈願」とありました。その後に「何事もなくありがたし」と書かれていました。それからも事あるごとに願い事が書かれていました。15歳ころには受験です。「無事合格ありがたし」とあります。その10年後には「結婚御礼」とありました。その後にも、あちらこちらにAさんのお名前が見受けられました。
 お願い事の横には必ず「御礼」とありました。金光教では問題の解決を神様へお願いする前に、これまでの感謝を唱えるからです。
 しばらくの間、過去のご祈念帳を見ながらAさんのことをお祈りをしているうちに、「Aさんは、今まで様々な出来事を通りながらも神様に守られてここまで来ることが出来たのだなあ。今回もきっと大丈夫だ」という妙に確信めいた思いにならされました。それと同時に、Aさんは生まれた時からご両親や教会の先生をはじめ、周りの大勢の人たちからずっと祈られ続けて今日まで来たのだなあと、祈りのありがたさを感じ入ったことでした。
 そして、Aさんと同じく私自身も両親や周りの方の祈りの中にあるのだと思うと胸の中が感謝の気持ちでいっぱいになりました。後日Aさんがお参りになり、精密検査の結果、肝臓と胆嚢の影は良性のもので何も問題はないという報告をされて、ほっと一安心致しました。
 誰でも経験がおありと思いますが、例えば物でも、自分で買って手にするよりもプレゼントされる方が何倍もうれしいものです。それは、物に込められた相手の思いを感じられるからだと思います。
 思いは信仰によって祈りに変わります。人を思い、その上祈ることには力があります。
 先日、私は突然歯が痛くて我慢出来なくなりました。すぐに歯医者さんに行って診てもらったところ、歯を抜くしか方法がないと言われました。その日はとりあえず痛みを抑える処置をしてもらい、歯を抜く日を予約をして帰りました。予約の日が近付いてくると、どんどん不安になりました。「痛くないだろうか。問題なく抜くことが出来るだろうか。抜いた後はどうなるのだろうか」など、色々な思いや心配が次から次へと頭の中を巡りました。
 当日の朝になりました。あるご信者の方からメールを頂きました。メールには、「先生、今日は歯の治療ですね。歯がスムーズに抜けて無事に治療が出来ますよう一生懸命お祈りしています」とありました。私はメールを読んだ後、何とも心強くて、うれしい気持ちになりました。それまであった不安な心が一気に軽くなって目の前がぱっと明るくなりました。幸い治療は痛みもなく無事に済みました。
 私はいつも仕事柄お参りになられた方のことをお祈りしています。ですので「人のことを祈る」ということは日常の中で常に意識するのですが、「私自身が人から祈られる」ということにはあまり意識がいきません。
 メールをもらったことで私のことを一生懸命お祈りしてくれている人がいるということに改めて気付かされました。
 そして、実際に祈りによって心が元気付けられることを教えてもらいました。
 金光教には、「すれ違う人のことでも神に祈ってあげよ」という教えがあります。金光教では親子、夫婦、兄弟や友人隣人や信奉者同志など、あらゆる関係において相手の幸せの祈り合いをします。それこそ文字通り、道ですれ違う人を祈ることもします。人のことを祈るうちに自分の心も安らぎ、穏やかになり、祈る喜びを感じます。
 お互いが祈り祈られる関係があるところには争いも生まれにくいはずです。まずは家族の間に、そして次は隣人との間へと祈り祈られる関係が広がればいいですね。そして人の祈りと同時に、私たちに掛けて下さっている「生きてくれよ」という神様の思いを知った時、人は底なしのうれしさを感じます。
 神様は、私たちを生かそう生かそうとして下さっています。そのことは、意識しなくても呼吸が出来、心臓が鼓動することからも分かります。神様は私たちにさらに、「幸せになってくれよ」と思って下さっています。その思いに応えていきたいと思います。

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