お酒はおいしく楽しく


●先生のおはなし
「お酒はおいしく楽しく」


金光教西郷さいごう教会
塚本敏光つかもととしみつ 先生


 母は今年87歳。7年ほど前から認知症が出始めました。進行はゆるやかですが、最近では、聞いたこと言ったことをすぐに忘れてしまうようになってきました。何度も何度も同じことを聞き返します。それで私も何度も何度も答えますが、一日中一緒にいると、さすがに、「それはさっき言ったでしょう。それは今聞いたでしょう」と言ってしまいます。母に悪気がないのはよく分かっているのですが、繰り返し繰り返し同じことを聞かれますと、さすがにうんざりした気分になります。
 そして、母は甘い物が大好きで、台所にお菓子やミカンなどがあると、それを自分の部屋へ持って行って食べるのですが、ついさっき食べたことをすぐ忘れるので、ほうっておくと何回もそれを繰り返してしまい、食べ過ぎで気分が悪くなったりします。ある時、家内が母の部屋を掃除していると、ゴミ箱がミカンの皮でいっぱいになっているのを見つけてびっくりしたり、またある時は、ふたを開けたばかりのイチゴジャムの瓶が瞬く間に空になっているというようなこともありました。だから、出来るだけ母の目に止まる所に甘い物を置かないように気を付けていますし、そうならないように母に注意もするわけです。
 そんなことを繰り返す日々の中で、5年前に亡くなった父が生前よく話していたことを思い出しました。
 父は、昭和21年の夏、自分の蓄のう症の回復を願って、初めて金光教の教会にお参りしました。教会の先生から、「人は決して自分の力だけで生きているのではない、止むことのない天地の働きの中で、我々は命を与えられている」と教えられ、肩で風を切るように生きてきた父のそれまでの人生も、実は神様のおかげで生かされて生きてきたのであるということを分からせてもらいました。父はそれから熱心に教会へお参りを始め、病気全快というおかげを頂いて信心の素晴らしさを実感していきました。
 ありがたい思いでいっぱいの父でしたが、そのころの父にはもう一つの悩みがありました。それは父のお父さんが大のお酒好きだったということです。お父さんは毎日のように夕方になると飲みに出掛けて行きます。飲んでいない時は神様のような良い人なのに、飲むと酒癖が悪く、その帰りに誰彼なしに家に連れて来て、その人を相手に飲みます。そんなことが度重なると、やはり家族も嫌になり、お父さんが飲んで帰ってくると家の中が暗くなっていました。
 ある日、父は、そのお父さんのことを神様にお願いしようと思ったのです。教会にお参りして、先生に、「実はこうこうで親父がたいへん酒好きで困りますから、どうか酒を早くピシャッと止めてもらうように神様にお願いして下さい」と話しました。
 すると先生はニコニコと笑ってこう仰ったのです。「親としての恩のある人が好きなものを飲まれているのに、それを止めて下さいとはお願い出来ません。それよりも、お父さんがおいしく楽しく飲んでもらうように、体を壊されんように楽しく飲んでもらえるようにお願いしましょう」。
 父はそれを聞いてびっくりしました。「このうえ親父が楽しく飲んでもらったらどうしようか。もう、いよいよ飲み倒して家の財産も何も無くなりそうなのに、とてもそんなお願いは出来ないな」と、最初は思いました。
 しかし、父は家に帰って、その教えをじっくりとかみしめました。そうしてお父さんに楽しく飲んでもらうためにはどうしたらいいのかを、自分が中心になって考えてみようと思い直したのです。
 それから、お神酒を買ってきて神様にお供えし、「どうか親父が悪酔いをせず、飲んでも楽しくなってもらえますように」と祈りながら、お父さんの徳利にそのお供えしたお神酒を少しずつ入れるようにしたのです。
 そのお神酒をお父さんが飲むようになって、お酒の量は次第に減っていきました。ある時は、お酒で命を落としそうになるところを九死に一生を得るような出来事もありました。その時には、お父さんから、「これはお前が信心してくれたおかげじゃ」と喜ばれ、まさに楽しくお酒を飲めるようになっていったのでした。
 このことを通して、父は、自分の助かりを願うだけの信心から、たとえ親子とはいえ、自分以外の人の助かりをも願う信心へと進ませて頂いたのです。
 私はこの父の話を思い出しながら、先生が言われたこの教えをもとに母のことを考えてみた時、母が甘い物を好きということを止めるわけにはいかない。それよりも、母が甘い物を食べても、おいしく楽しく食べてもらえるように、健康に差し支えなく食べてもらえるように神様にお願いさせて頂くということが大事だと気付かせてもらいました。
 かつて父が頂いたこの教えを、今度は私が頂き、母のことを願っていきたいと思います。金光教には「信心は親に孝行するも同じこと」との教えがあります。親から受けた恩は計り知れません。その親が喜ぶように努めることが、信心の大切な中味であり、同時に神様の願いでもあるのだと思います。

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