●先生のおはなし
「娘の真心」

金光教中野教会
河井真弓 先生
娘の久世が、幼稚園の年長の時の話です。久世は、3歳の時から金光教の教会のお祭りに奉納する舞の稽古をしていました。この舞は、吉備舞といって、明治の初めに、雅楽をベースに生まれた音楽に舞を付けたものです。平安時代をほうふつとさせる美しい衣とはかまを付けて舞います。久世も、お参りをしている教会のお祭りで、ぜひとも舞いたいという思いから、吉備舞の稽古を始めることになりました。
ちょうどその頃、教会が出来て80年を祝うお祭りが行われ、そのお祭りが娘の初舞台となりました。始めた当初、指導の先生からは、「神様の前で舞えるまでになるには、お稽古をたくさんしなければならないので、今度のお祭りに舞うのは難しいかもしれないね」と言われていました。にもかかわらず、お祭りの当日には、見事に舞うことが出来たのです。5歳の女の子が一生懸命神様に向かって舞う姿は、お祭りに集まった多くの人々の心を打つことになりました。たった、3分の舞を舞うために重ねた稽古の成果であることは、言うまでもありませんが、一番は、子ども心に、「神様に吉備舞を見てもらいたい」という思いが舞を通して現れていたからでしょう。
その後も、娘は黙々と吉備舞の稽古を続けていましたが、ある日、金光教のご本部で舞ってほしいという話が来たのです。娘に確認すると、「ぜひ舞いたい」とのことで、すぐにお受けする返事をさせて頂きました。しかし、しばらくしてあることに気付いたのです。それは、吉備舞を舞うことになっている日は、娘の幼稚園の発表会の日だったのです。ちょうど、この時期に、1年に一度、年少から年長までの園児らが、1年間の学びの成果を発表する意味を込めて、歌や劇、楽器演奏などを披露するのです。
年少、年中、年長と成長する子どもたちの姿を見るのは、親として楽しみでもあり、心が温かくなるものです。しかも、年長ともなれば、最後の舞台で、親も我が子が何の役をさせてもらえるのかと、気をもむものです。ですから、その発表会に出ないという選択は、私の中にはありませんでした。
娘に、吉備舞を舞う日と幼稚園のお遊戯会が同じ日であることを告げると、娘は躊躇なく、「ひさちゃんは、吉備舞を舞う」と言ったのです。「えっ! 本当」と娘の言葉に驚きました。次に私の口からは、「本当にそれでいいの」と、幼稚園を選択するように促す言葉が出ていました。娘は、「それでいいの。幼稚園でのお遊戯会の練習は一生懸命するから」とのことでした。
その後、お遊戯会では、楽器演奏と桃太郎の劇をすることが決まり、本格的な練習が始まりました。それと共に、幼稚園から帰れば、吉備舞の練習が待っているという毎日でした。そして、あっという間に本番前日がやってきたのです。
教会の親しい方々の中での舞と、ご本部での見ず知らずの方々の中での舞とでは、大人の私が考えただけでも緊張のあまり足が竦んでしまいます。また、天気予報で、東京を始め金光教の本部がある岡山に大雪の警報が出ていました。そこで、当日には雪で新幹線が動かない可能性があるため、急きょ、前日に東京を出発することにしました。岡山の金光教本部に着いた頃から、雪がちらちらと舞い始め、時間を増すごとにだんだんと強く降ってきました。すると、私の携帯電話に夫から電話が掛かってきたのです。
用件は、東京が大雪で、近年にない積雪なので、幼稚園の先生から明日のお遊戯会を中止し、翌日に変更になったということと、それなら久世ちゃんも参加出来るので先生も喜んで下さっているということでした。
お遊戯会の日が変更になるなんて、想像も出来なかったことでした。ですから、その喜びは私も娘も言葉に出来ないものでした。久世に報告し、肩を抱き合って喜びました。久世は、「神様は本当に凄いね」とつぶやきました。
予報通り、本番の日の朝には銀世界になっていました。そんな中にあっても、全国から多くの方々がお参りに訪れ、お祭りも無事に仕えられ、久世も吉備舞を奉納することが出来ました。久世が舞っている姿を通して、全ての事柄に神様の後押しを感じました。
翌日、幼稚園のお遊戯会の朝、同じクラスのお母さん方が、私の所に駆け寄ってきてこう言うのです。「久世ちゃんは凄いね」「大変運がいいね」と。更に、園長先生が開会のあいさつで、「幼稚園の長い歴史の中でお遊戯会の日程が変更になったのは初めてです」と言われました。私は心の中で、神様にお供えしたいという久世の真心を神様は受け取って下さったのかなあと思いました。
久世の真心で、一生懸命に取り組んだ吉備舞とお遊戯の2つが成就した、その見事さに、神様のありがたさを更に深く感じました。久世一人のために神様がそのようにして下さったとは思いませんが、迷うことのない神様への純真な真心を、何よりも神様はお喜びになるのだと思わされた出来事でした。