●先生のおはなし
「運命を変える」

金光教サクラメント教会
大矢嘉 先生
私の奉仕する教会に不安な様子で若い女性が参拝されました。聞いてみますと、「占いの本を読んだのですが、運勢が悪い」と言うのです。そして、「先生のも調べてあげましょうか」と言われます。私は、「調べなくていいです」とお断りしました。すると、「先生は占いは信じませんか」と聞かれるので、「いえ、そんなことはありませんが、金光教を信心していますから、運勢は最悪でも大丈夫です」とお答えしました。
するとさらにその方は、「運命は変えられるのでしょうか」とお尋ねになりました。お気の毒によほど悪い運勢が書いてあったのでしょう。
「はい、運命は変えられますよ」と言うと、女性は安心して笑顔になられたというような出来事がありました。
では、どうすれば運命を変えることができるのでしょうか。それは、「お礼を土台に」今を生きることです。
今から30年ほど前、岡山県にある金光教本部で働いていた時のことです。当時金光教の教主であられた四代金光様から教えて頂いたのは、日々の生活の中で、「お礼を土台に」生きることでした。これは、何をおいてもまず、お礼を申し上げるという稽古です。早速、実践を心がけましたが、このお礼の稽古、実はなかなか難しいのです。ついつい、不平や不満、お願いが先になり、お礼を先に申し上げて、そのお礼を土台にしてお願い申し上げることになっていきません。
「難しいなあ」と思っていたある日、妹から電話が入りました。「母が明日、東京の専門医のところで手術する。細かい神経がたくさん通っているのどのあたりにメスを入れるので心配だ」と言うのです。
私はすぐに家族全員で母の元へ向かおうと思い、時刻表を調べました。何時の電車に乗れば、今日中に母に会える。よし、それならこの時間に出れば大丈夫と調べた上で、本部の神前にお参りしました。
金光様に事の次第を申し上げますと、金光様はいつもの「お礼」というお話を丁寧にされます。私としては時間が気になって仕方がない。「金光様、今日は時間がございませんから」と言いたいのですが、それも言えずにもじもじしていました。
それで、どうしてそう思えたのかは分かりませんが、「まあいいか、遅れても」と思ったのです。そう思った瞬間でした。金光様が、「今の心がええなあ」と仰せになったのです。「えっ」と言う私に金光様は、「比べてごらん。あなたがここに来て座った時と、今の心を」と仰るのです。「あっ」と言う私に、金光様は、「来た時の心で行ったらお見舞いがお見舞いにならんじゃろうが」と仰せになる。そこでようやくその時の自分が見えてきました。
私は母におかげを頂いてもらうことで頭が一杯で、平常心を全くなくして慌てふためいていたのです。そこには何事も神様にお任せして穏やかに信心する私がいません。これでは母を不安にさせるだけです。
そう思っておりますと、金光様はさらに、「何でそうなるか分かるか」と聞かれるのです。ポカンとして、「さあ」と答える私に、もう建物中響きわたるような大きな声で、「普段からお礼の稽古が出来とらんからじゃ」と一喝されたのです。その時のものすごい声は一生忘れることが出来ません。もうビックリしました。
そして、今度は穏やかな優しい口調で、「これから駅へ向かうじゃろうが。ええか。お礼申してな、行かせて頂きます、ありがとうございます。駅に無事着くじゃろうが。お礼申してな。電車が来たら、電車が来ました、ありがとうございます、言うてな。乗るじゃろうが、乗せて頂きましてありがとうございます…」と、病院へ行くまでの道筋を順序立てて全部仰せになられて、その一つひとつにお礼、お礼、お礼、というふうに丁寧に教えて頂きました。
金光様のお言葉を頼りに、私は時計や時刻表を見るのをやめ、教えられた通りにさせて頂きました。そうしましたら、私たちが駅の改札口へ行くと、電車がすっとホームへ入って来る。岡山駅の新幹線ホームに上がった途端に車両がスーっと入って来て、その日のうちに病院に着いて母に会うことが出来ました。しかも手術は成功でした。
翌日、家に戻り真っ先に、本部の神前にお参りして、金光様に事の次第を報告させて頂きましたら、金光様はまた大きな声で、「ワッハッハッハー、そうじゃろ、そうじゃろ。信心はやってみんと分からんけえなぁ。それは結構でした」と仰せになられ、私も金光様に喜んで頂き、うれしく、ありがたく、「お礼を土台に」生きる信心の確かなことを実感しました。
このことがあってから私は、どんな時でも何はともあれ落ち着いて心に浮かぶお礼を自分にまず言い聞かせるようになりました。そしてそのお礼を土台に神様とお話をするのです。そうしますと視野が広がり、それまで見えていなかったものが目に入ってきたり、気付かなかったことに気付いたりします。そしていつの間にか、自分の心から心配や不安や恐れは消え去り、無理のない素直なお願いが出来るようになります。
人間の力ではどうにもならない運命。でも神様と一緒に生きることで少し違った道を歩むことが出来るのです。その少しの違いはやがて大きな違いになります。ですから、たとえ運勢が悪くても大丈夫。きっと運命は変わります。お礼を土台に今を生きてまいりましょう。