山茶花の咲く頃


●先生のおはなし
山茶花さざんかの咲く頃」

金光教苅田かんだ教会
深見德久ふかみのりひさ 先生


(案内役)おはようございます。案内役の岩﨑いわさき弥生やよいです。
今日は、受験という特別な日に起きたお話です。福岡県・苅田かんだ教会、深見ふかみ德久のりひささんのお話で、「山茶花さざんかの咲く頃」。

(本文)毎年1月になると必ず思い出す出来事があります。私は以前、岡山県の金光教本部の近くにある、金光学園高等学校で教員をしていました。ある日、大学入試の受験生の引率で受験会場に行った時のことであります。
 受験の日の朝、会場の入口付近で受験生がやって来るのを待っていた時、数人の生徒が駆け寄ってきて、「先生大変です。A子ちゃんが車にはねられ大けがをしました」。大粒の涙を流しながら報告してくれました。
 私はすぐさま事故現場に向かいました。着いてみると、乗用車が歩道に乗り上げ、車のボンネットはめくれ上がり、そばの自動販売機は傾き、街路樹の傍に植えられていた山茶花さざんかはなぎ倒されて、その花びらが無残に路上に散っていました。乗用車がカーブを曲がりきれず歩道に突っ込み、たまたまそこを歩いていたA子さんは、車と自動販売機の間に挟まれたのです。
 A子さんは数カ所の骨折と、内臓損傷という重傷を負いましたが、幸いにも一命は取り留めました。入院数週間ののちには追試験を受けられるまでに回復し、医師と看護師が付添い、受験に行きました。しかし、万全の体調で受験できなかったため、その年の合格通知は彼女の元には届きませんでした。
 同級生らは卒業したのちにも金光教本部に参拝し、A子さんの回復を願っていました。その姿を何度も見かけ、人の心の優しさや温かさを感じ、それぞれの心の中におられる神様が、人間の助かりを願う姿となって現れたのだと思わせていただきました。
 A子さんは多くの人たちに祈られながら順調に回復し、次の年には無事大学に合格しました。A子さんが卒業してから数年後、偶然に会う機会があり、「ありがとうございます。何とか元気にしています。今でもお世話になった多くの人に感謝しています」と話してくれ、体も心も元気になった姿を見て、救われた気がしました。
 私は事故のあとしばらくは、神様は人間に対してなぜこのようなむごいことをされるのか、神様が信じられなくなりました。金光教の教祖は、「信心せよ。信心とはわが心が神に向かうのを信心という」と教えてくださっています。私は意を決して金光教本部に日参し、改めて信心をし直そうと、自分が納得するまで心を神様に向ける稽古をし、信心の先輩から、神様と人との関係を中心に、いろんなお話を聞かせていただきました。
 このような取り組みを続けているうちに、難儀にしか思えなかった今回のことが、実はおかげの中の出来事であったと分かるようになってきました。たとえどのような難儀なことが起こってきても、神様は常に人をお守りくださっており、難儀をとおして「どうか助かってくれ」と、人が真に助かることを願い続けておられることが分かってきたのです。
 あれから約40年、私はA子さんの健康と活躍を、今も神様にお願いさせていただいています。現在私がご用させていただいている教会においても、高校や大学の合格祈願に来られる参拝者がいますが、その時には必ず次のようなお話をさせていただいています。
 「神様に今日まで生かされて生きていることにお礼申し上げ、惜しみなく愛情を注ぎ、育ててくださったご両親に感謝しましょう。あなたが希望のところに合格したいという思いはよく分かりますが、合格することをいくら願っても必ず合格できるとは限りません。それよりは、今まで勉強し、身に付けた力が、試験当日十分に発揮できるようにお願いすることです。そして何よりも病気になったり、事故に遭ったりすることなく、無事に受験ができることを神様にお願いしなさい。良い結果が出ることを祈らせていただきます」
 A子さんの事故をとおして教えられたことを元に、このようなお話をさせていただいています。
 生きていればいろいろな心配事や、まさかといった出来事が起きてきます。事が起きてから慌てるのではなく、常日頃から心を神様に向ける稽古をし、神様におすがりしておれば、必ず助かる道が開けてきます。

(案内役)いかがでしたか。
「受験」というと、つい合否のことばかりが気になってしまいます。けれども、受験会場のすぐ近くまで来ているのに、思いがけない事故に遭うこともある。ここまで勉強ができ、受験ができることがまずは尊いこと、当たり前ではないことを改めて思わされました。A子さんが、まずは命を助けられ、1年遅れではありましたが、大学に進学されたとのこと、本当によかったです。
 思いがけない出来事に遭遇した時、「なぜこんなことが。どうして」という問いへの答えは、なかなか見つからないのかもしれませんし、年月をかけて考えないと分からないこともあります。それでも、きっと意味のあることだと事実を受け入れ、今できることをやってみるその姿勢が、神様に心を向けるということなのかと思いました。そして、A子さんを思う多くの人の祈りがその後押しになっているのだと思いました。

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