この手のひらのぬくもりは


先生のおはなし
この手のひらのぬくもりは

金光教今市いまいち教会
森山恵美子もりやまえみこ 先生


昨年の夏、仕事で名古屋に行く機会があった。仕事自体は夕方5時には終わる予定だったが、往復12時間の日帰りはきつい。そこで、近くに住む兄夫婦の家に泊めてもらうことにした。夕方、マンションに到着すると、義姉がテーブルいっぱいの手料理を用意して待っていてくれた。
 しばらくは、互いの近況を報告したり、両親の様子を伝えたりとたわいのない話が続いたが、夜も深まり、お酒も入ってくると、話題は小さい頃の思い出話へと移った。
 「なぁ、あれ覚えてるか? お前が家出した話!」と兄。「あぁ~、あったね!」と私。
 2人で家出したのに、誰にも気付かれず、いつもの広場にいたところを、「ラーメン伸びるよ~」と母に呼ばれて、あっさり帰宅したこと。ハムステーキをステーキだと思いこみ、コンビーフをケチャップで炒めたものをハンバーグだと思っていたこと。母の留守中、父が決まって作ってくれるバターライスをフライパンごと囲み、「かかれ!」の号令で、スプーンで取り合うようにして食べるのが楽しかったこと。兄が初めて1人で散髪屋に行った時、「お利口だったね」と、アイスクリームをくれた店の人に向かって、「うち、3人兄弟なんです」と言って、ちゃんと私と弟の分もアイスをもらって来てくれたことなど。
 兄とゆっくり話すのは本当に久しぶりで、私は普段の生活を離れて、ただの妹の顔に戻り、3人でよく食べ、よくしゃべった。
 兄がデザートを配りながら、ふと手を止め、「なぁ、お前、母さんがアイスクリーム好きなの、知ってた?」と私に尋ねた。「あぁ…。バニラのアイスクリームでしょ。私もまた実家に住むようになって、母さんが自分のために買い置きしてるのを見て、初めて知った」。「なぁ。実は俺も知らなかった。子どもの頃、俺たちの前で一緒におやつを食べるところ、見たことなかったもんな」。 
 私たち家族は、小学校低学年まで岡山で過ごし、祖父母が年を取ったので、父の実家である島根に引き上げた。しゅうとしゅうとめとの同居に加えて、低く重たい雲に覆われる山陰の冬に、母はなかなかなじめなかっただろうし、地縁血縁を重んじる独特な土地柄も少なからず負担だったに違いない。また、家族も5人から7人の大家族になり、食事作りにしても、限られた予算の中で、年寄りと子どもの好みそうなものを、手を替え品を替え、必死で工夫していたに違いない。
 「守られていたんだね…」。「うん、本当にそうだね」。
 たくさん叱られ、たたかれもしたが、世の中の大抵の親がそうであるように、ピンチの時には、誰よりも味方だった。熱を出せば、夜通しそばに付いていてくれた。苦しくて目を覚ますと、「ん? 起きた?」と、のぞき込む顔があり、胸に手を置いて、とん、とん、とんとたたいてくれた。その手のぬくもりを感じると、ほっとしてまた眠りにつくことが出来た。手を伸ばせば、いつも近くにあったぬくもりを、母はどんな思いで差し出してくれていたのだろう。私たちは、そのことにどれだけ気付けていただろう。
 兄は、阪神・淡路大震災の年に結婚した。そのきっかけを、こんなふうに話してくれたことがある。広島にいるいとこの結婚式に出席するため、3日間の休暇を取っていたところ、1月17日早朝、あの大震災が起きた。交通手段が寸断され、結婚式への出席は諦めざるを得なかったが、兄は単身、神戸へ入り、予定していた休暇の3日間を、避難所でボランティアとして費やした。そして明日は名古屋へ帰るという日の夕方、てつく冬空の下、夕陽のグラウンドを、老夫婦が手をつないで歩く姿を見た。その時、兄は、「ああ、何もかも無くしても、生きている限り、人には出来ることがあるんだ」と思ったという。
 何もかも無くして、先が見えない状況でも、そばに手をつなぐ人がいることが、手から伝わるぬくもりが、どれ程力をくれるだろうと。そのぬくもりが、また歩き出す力をくれることがあるかもしれない。家族を持とう。自分も、誰かの支えになり、ぬくもりになりたいと思ったのだと言う。それから間もなく、「結婚したい人がいる」と、今の奥さんを島根に連れて帰って来た。そして今、目の前にいる2人は、時には親友のように笑い合い、助け合い、長年連れ添った家族の顔をしている。
 長い夕食はお開きとなり、義姉が用意してくれた寝床の中で、一人、自分の手を見つめながら思った。この手のひらのぬくもりは、たくさんの人から受け取ってきたもので出来ている。そして、それはこれから出会う人や、ものに、そっと手渡していかねばならない。祖父母から、父や母へ、父や母から私たちへ、いのちを通して伝えてくれてきたように。それは、いのちを頂いた時からもらっている、神様からの課題のような気もする。
 とりあえず、明日、駅に着いたら、バニラのアイスクリームを買って帰ろう。そう思いながら、いつの間にか深い眠りに入っていた。

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