信心あればこそ~被災地の教会から~


信心ライブ
「信心あればこそ~被災地の教会から~」

金光教放送センター

 
 金光教の集会で行われた発表や講話などを録音で紹介する「信心ライブ」。
 平成23年9月25日、宮城県松島まつしま市中央公民館で、金光教東日本大震災復興慰霊祭が行われ、その中で気仙沼けせんぬま教会の奥原志郎おくはらしろう先生がお話をされました。
 気仙沼教会は港の近くの高台にあり、大津波も、教会のすぐ近くまで押し寄せました。津波に浸かるまでには至りませんでしたが、地震で教会建物も損害を受けます。それでも気仙沼教会は、震災直後から、多くの被災者の宿泊所として開放されました。
 教会長の奥原先生は、被災者の立ち行きを祈ると共に、信奉者の安否確認を震災直後から行い、ご神米しんまいという祈りのこもったお米を入れた紙包みを手渡し、被災された方々を励ましていかれます。そこから被災者の方々が、どう立ち直っていかれるのか、奥原先生のお話を聞いてみましょう。

 …4月初めに教務センターの所長が教主金光様からちょうだいしたご神米をたくさん持参くださいまして、それを私は小分けに致しまして、被災された信徒の方々に安否確認と共にその御神米をお渡ししていきました。
 その中のお一人で、岩手県の大船渡おおふなとという所に住んでおります平田ひらた長治ちょうじという方がございます。建具屋さんでございます。
 その流された自宅のがれきの中で何か作業をしておりましたけども、私が、「こういう訳で教主金光様からご神米をちょうだい致しました」と話しましたら、平田さんは汚れた手を自分のズボンでゴシゴシこすってですね、そして、私が差し出す教主金光様のご神米を押し頂くように、そして内ポケットにそれを大切にしまっておりました。
 私はその様子を拝見しておりまして、「ああ、この方は、本当におかげを頂くだろうな」とその場で感じましたけど、果たしてそれから半月後、教会のご大祭にその家族がお参りしてまいりまして、こう申しました。「先生、中古の機械ではありますが、それを少しずつ買い整えて、建具の仕事を再開しようと思っております」と。「何と復興に向けての足取りが早いか」というふうに感心させられました。
 その後、また半月後にその方の所を訪ねました。建具の仕事を一生懸命しておられました。教えの中にありますように、「ありがたいと思う心はおかげの始め」だと、まさに教主金光様のご神米をありがたく頂き、内ポケットにしまう。まさにありがたいと思う心がおかげの始め。立ち上がりの早いこともうなずけるわけでございます。
 もう一人は同じく大船渡で民宿を経営している嘉志かし一世いちよさんというご婦人がおります。あの3月11日の震災以来、民宿に泊まって下さった多くのお客さんが、何とか早く民宿を立ち上げて欲しい。そして、仕事を始めてほしいと、こういうふうに皆励ましてくれると。「先生、私はお客さんたちの期待を無にすることは出来ません。何とか自分たちの住まいは後でも、何とか早く民宿を建てて、民宿を再開させてもらいたい」と強く願っておりました。今その準備を一生懸命進めておるようでありまして。私もその民宿が開店するのを楽しみに待っているところでございます。
 その嘉志一世さんが、こうもおっしゃっている。自分の娘が4月に結婚式を執り行う予定であった。従って大勢の方をお呼びして、披露宴をするというふうなことで考えておった。しかも、お嫁に行く、その道具もちゃんとそろえておった。それが全て流されてしまって…。その娘は、各地から寄せられる救援品の中で、自分の着れそうなものをビニールの袋に詰め込んで、嫁に行ってしまいました。
 その母親の一世さんが言うには、「私はこれでいいんだと思います」と断言するんですね。こういう時で、津波に遭って、みんな大変だから、仕方がないから、これでいいんだというのではありません。自分自身が民宿でこれから一から始めて、神様のおかげを頂いてそうさしてもらうんだと。同じく、娘は好きな人と家庭を築き、2人で新しい家庭を築いていく。その出発。「一から始めるんだから、神様のおかげを頂いていくんだから、これでいいんだ」と、こうその母親は断言するんですね。私はそれを聞きまして、ありがたいもんだな。信心させてもらっている母親のこの力強い決意というものは、本当にこれは信心あればこその言葉だなというふうに、その時改めて教えられた次第でございます。

 ご神米を押し頂いて、「しんにありがたし」と思う心で建具屋を再開した平田長治さん。また、「娘は着の身着のままでお嫁に行ったけれど、これでいいんだ、娘も民宿も一からの出発だ」と断言する嘉志一世さん。
 今、被災地が立ち直ろうとしています。1日も早い真の復興を共に祈らせて頂きたいと思います。


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