神様からのテスト


●信心ライブ
「神様からのテスト」

金光教放送センター


(ナレ)金光教の集会で行われた発表や講話などを録音で紹介する「信心ライブ」。
 今朝は京都にお住まいの山下浩子やましたひろこさんが、青年の集いで発表されたお話を、ごく一部ですがお聞きいただきましょう。

(山下)仕事をしながら学んだことというのは、本当にたくさんあるんですけれども、その中で一つだけ、お話をさせていただきたいと思います。
 私のいた職場では、普通のOLのようにパソコンと電話が1人1つずつデスクにありまして、ほんとに毎日電話とファクスに追われるようなすごく忙しい職場だったんですけども、ある時普通に仕事をしていますと、電話が鳴りました。
 出てみますと、「経理の者ですが…」と言われました。
 「今日はおわびとお願いがあってお電話させていただきました」と突然言われまして、何やろう? と思って、「はいっ」て言ってますと、「山下さんが入社されてから3年間、交通費が多く支払われていたので、少しずつでいいので返していただきたいんです」と言われまして、ちょっとビックリしたんですけれど、「いくらですかぁ?」って聞きますと、「合計で13万円です」って言われました。
 13万っと、ちょっとその時は正直ショックというか、13万ってどれくらいやろうみたいな、一瞬分からなくなったくらいだったんですけど、だんだんとそのショックが現実的になってきて、…あーマジですかぁ…と思っていたんですが、当時の私にとっては13万というのは結構な大金で、どうしようと思っていたんですけど、それを聞いた時にフッと、これは神様からのテストかも知れないなあ、と思いました。
 神様が、「これは浩子はどうやって受けるんや」って聞かれてるんかなあって思うと、ショックを受けただけで終わっていたりですとか、さらに経理のミスをした人を責めたりですとか、そういうことをしてしまうと、神様のテストに合格出来ひんわ、と思いまして、そういうことも全部神様のされることなんかなと思うと、特に腹が立つということも、ショックを受けるということもなくなりました。
 会社に入ってから給料明細を見て、基本給がいくらで、どんだけ保険に引かれて、とかそういうことはまったく見てませんでした。だから交通費を多くもらっているということにもチェックをしていないから気付いていなかったんです。もし私がちゃんとその明細をチェックしていたら、気付いていたかも知れないし、そしたら早く連絡して、未然に防げたかも知れないなあと思ったので、その電話の時に、「いや、私の方こそちゃんと確認してなくてすみませんでした」ということを謝るというか、そういうことが言えました。
 それを聞いて相手の経理の方も、ちょっと安心したような感じだったんですけれども、その言葉、「私こそすみませんでした」というその言葉は、神様が言わせてくださったなあと思います。いくらでも責めたりとか、しようと思えば出来る状況だったと思うんですけども、そこでそういう言葉を言わなくて済んだ、そういう神様のお働きを頂いたなと思います。
 その経理の方が、「山下さんからも上司の課長と所長とに報告しておいてください。しておいてもらえますか?」と言われたので、「はい、分かりました」と言って、すぐに課長と所長とに言いました。
 「そういうことだそうです」とあっさりと報告したんですけど、課長の方が、ちょっと、「ホンマに、ホンマにそんなんでいいんか」と言って、課長の方が経理と、「ホンマに返さなあかんのか」とか、「そっちのミスじゃないのか」とか、すごくやり合ってくださったんですけど、しばらくして、「やっぱりアカンみたいや、裁判してもアカンみたいやわ」とすごい話が大きくなってしまって、すごく課長の方が残念そうに言われました。
 私は全然残念ではなかったんですけれども、課長さんも忙しいのに、そういう私のために時間を使ってくださって、ありがとうございましたと、そういう気持ちになりました。
 毎月2万円ずつ返金して、お給料から引いていただくということにしたんですけれども、特に小遣いが減って困ったとかそういうことはありませんでした。

(ナレ)これは5年ほど前にあった出来事を振り返りながら話してくれたものですが、いかがでしたでしょうか。
 もし私だったら…。「そんな馬鹿な! そっちのミスでしょ! こっちは悪くない!」と、言いたくもなります。
 ところが、彼女はフッと思えた。「これは神様のテストかも」と…。
 こんな風に自分の心が神様に向かう、それが信心なんですね。
 「どうしよう…」と困った時、スーッと神様の方へ心が向いていく。すると、自分でも思いもよらないことが起きるんですねぇ。彼女の場合、その一瞬の出来事の中で、口をついて出たのが、「私こそすみませんでした」という言葉だった。
 さらに、自分が言いたいことも上司が代わって問い合わせてくれた。「私のためにそこまでしてくださって…」と、何だかうれしい思いにさえなれた。
 どうせ返さなければならないのであれば、お互いに気持ちよく決着するに越したことはありません。彼女はこの出来事を通して、争うことなく丸く収まるヒントを得たことでしょう。
 私たちは、つい事柄に心を奪われ、そして取り乱し、自分を守ることに必死になりがちですが、自分の主張ばかりでは世の中収まりません。
 ならば、心をスッと神様に向けてみる。 
 今日一日、前向きでも後ろ向きでもない。そう“神様向き”に過ごしてみてはいかがでしょうか。

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