●こころの散歩道
「間違い電話」

金光教放送センター
我が家には、間違い電話が、よく掛かってくる。多い時には、週に2度、3度、掛かってくる。私が受けた分だけで、そのくらいあるのだから、実際は、もっとあるはずだ。
「はい。もしもし、こちら…」
「あのですね。年金について伺いたいんですけどね。夫は、59歳まで会社勤めしてまして」
「あの、どちらにお掛けでしょうか」
「それから実家の八百屋を継いだんですが」
「いや、あのですね」
「うっかり、3年ほど間が空いちゃったんです」
「ここは、社会保険事務所じゃありません」
「え?」
「お掛け間違いです」
「まあ! 失礼しちゃうわねっ」
失礼なのは、そっちだ。私は、ムカムカしながら、そう思った。
我が家の電話番号は、この地区の社会保険事務所と、よく似ている。末尾が01か、10か、だけが違うのである。
大都市の中心部だから、所管戸数も多い。その結果、我が家への間違い電話も多い、というわけである。
最初に、こちらがちゃんと名乗れば、そこで終わりではないか、と思うかもしれないが、そうはいかない。緊張しているからか、思い込みからか、約65パーセントの人は、こちらが名乗ったのを聞き飛ばすのである。ちゃんと聞いたら聞いたで、しばしの沈黙の後、謝りもせずに電話を切る人が多い。そのガチャンという音は、胸に突き刺さる。
間違い電話というものは、こちらからは、予防のしようもない。そして、電話が終わったら、不愉快な気分が残る。 理不尽だ。どうしたら、いいだろう。私は、考えた。
私は、思い付いた方法を試した。それは、「あなたが今お掛けになった番号は、これこれです。正しい番号は、これこれですよ」と、優しく教えてあげる、という方法である。
結果からいうと、成功しなかった。いや、相手からお礼を言われるようになったので、その限りでは、失敗でもない。しかし、間違い電話の件数が減らないのである。よく考えてみると、それは当然だった。もともと、一度間違えた人が、また間違い電話を掛けてきたことなどないのだから。
だが、これは、次へのヒントになった。間違い電話それ自体は減らせなくても、不愉快な間違い電話は減らせるかもしれない。それには、まず自分が不愉快な気持ちにならないこと。不愉快な気持ちでしゃべった言葉には、人を不愉快にさせるものが混じるのだから。
「というわけで、これが正しい番号です」
「すいません。ご丁寧に」
「いやあ、似てますからねえ。私もよく間違えるんですよ」
「…変な人」
ちょっと外したようだ。無理に面白いことを言おうとしても、相手の心に響く言葉でなければ、気持ちよく電話を切ってもらえない。
これはもう電話の問題ではない。人生の問題なのだ。
コンビニに自転車で向かっている。私のすぐ前を、男性が歩いている。2匹の小さな犬を連れている。犬は、ちょこちょこと、動き回っている。つぶらな瞳が可愛い。犬に当たらないように、大きく回り込む。しかし、歩行者用の側道は広くない。そう距離は取れない。犬の1匹が、こちらを見た。悪い予感がした。案の定、犬が突っ込んで来て、鼻面をペダルにぶつけ、「キャン!」と被害者のような声で鳴いた。飼い主の男性が、振り返った。
「おい! 何しやがる!」
ムカっときながら、自転車を止めた。その瞬間、「気持ち良く」という呪文が、頭に響いた。
「可愛いわんちゃんですね」
「お? おう」
「私も、昔、犬を飼ってました」
「おう? そ、そうか」
「小学校のころ拾ってきて、高校の時、死にました」
「え? 死んだのかい」
「ええ。お腹を膨らませてね。寄生虫だと医者は言ってました。可哀想でした」
「苦しんだのかい?」
「ええ。でも、今考えたら、逆でなくて良かった」
「逆って何だい?」
「面倒見る側が先に死んだら、もっと可哀想です」
「そりゃそうだよな」
「じゃあ、失礼します」
「お、おう」
「わんちゃん、ぶつかってごめんね」
そう言って自転車を漕ぎ出した私に、男が声を掛けた。
「兄ちゃん! 頑張れよ!」
うなずいて答えると、私は、コンビニに急いだ。「ああ、出来た」と思いながら。
今のは、悪くすればののしり合いになるか、そうでなくても、お互いに不愉快な気持ちにならずには終わらないところだった。昔飼っていた犬のおかげだな、と心の中で感謝した。
人生で、どれほど、人に出会い、別れるだろう。ただの1回だけ会って、2度と会わない人は、どれほどいるだろう。出会いが、それ以上良いものに出来なくても、別れは、まだしも努力のしようがある。
間違い電話でさえ快い別れを告げられるようになったら、私の人生は、うんと楽しいものなるに違いない。
