シリーズ「あなたへの手紙」第3回「①仕事が退屈/②お葬式は不要?」


●あなたへの手紙
第3回「①仕事が退屈/②お葬式は不要?」

金光教放送センター


 おはようございます。私は名古屋にあります金光教今池いまいけ教会の浅野弓あさのゆみと申します。今朝は、こんなお便りを頂きましたので、ご紹介します。24歳の悩める男性と書いてあります彼から頂きました。こんなお便りです。

 大学を卒業し、昨年の春から社会人になりました。今までは仕事を覚えたり環境に慣れるのに必死でしたが、ようやく慣れて来ました。すると、ほとんど毎月同じことの繰り返しだと気付き、定年までこんな毎日かと思うとうんざりしてしまいます。仕事ってみんな、こんなふうでしょうか。


 こんなふうなのでしょうか、と問われたら、そう、そういう面もあるわね、としか言えませんね。もしかしたら仕事を変えたら、違うんじゃないだろうか、と思っているかもしれませんね。でも、どんな仕事でも基本的には同じことの繰り返しだと思いますから、仕事を変えてみようと考える前に、ちょっと私の話を聞いて下さい。
 生きるって、とちょっと大げさかもしれませんが、生きることは同じことの繰り返しが基本なのです。考えてみて下さい。太陽も月も星も、毎日出ては沈み、沈んでは出ての繰り返し。海の波も寄せては返す、その繰り返しです。人間の体の中だって、食べて出すの繰り返し。毎日違うものを食べているようでも、体の中では、同じ働きが繰り返されているのです。それぞれの器官が飽きもせず、毎日毎日同じことの繰り返しをキチンと働いてくれているから私たちが生きていられるんです。単調な働きの繰り返しが私たちの命のもとなんですね。しかも、それが同じように繰り返されるということはとてもありがたいことだということが分かると思います。心臓が突然、ドキドキッとしたら、大変じゃないですか。
 だから、同じことの繰り返しはつまらないことではなくて、ありがたいことなのです。あなたの仕事もその繰り返しの中に大切なものが生み出されているはずです。「どうせ、同じ」なんて思わず、「どうぞ、今日も」という思いで、丁寧に取り組んで下さい。
 教会の近くに大きな桜の木がある家があります。春になって、桜が満開になり、やがて散り始める頃になると、そこのおばあちゃんは、毎日毎日丁寧に落ちた花びらを掃除します。その姿からは、「どうせまた散る」という思いは微塵みじんも感じられません。私はその姿に感動を覚えるほどです。きっとあなたの仕事ぶりも、誰かが見ていてくれるはずです。あなたの大切な人生の一日、どんなことにも心を込めて丁寧になさって下さい。必ず、実りますから。

 次のお便りにいきますね。40代の女性の方からのお便りです。

「最近、お葬式をしない人が増えていると聞きますが、金光教ではお葬式をどう考えていますか?」というお尋ねです。

 そうですね。そういえば、家族だけでひっそりと故人を偲びましょうという家族葬とか、直接火葬場に行ってしまえばいいというような話を聞きます。
 それなのに一方で、ペットも家族同様なんだからと、ペットのお葬式が増えていたりもするのですよ。なんか不思議ですね。でも今朝は、人間に限ってお話しますね。まず、なぜお葬式はいらないかもと考える人が出てきたか、というところから考えてみましょう。
 現在のお葬式では、例えば上司の親のお葬式に行くというような場合には、亡くなった人の顔も知らないということがあります。そういうお付き合いはしたくないとか、とにかくお葬式にはお金がかかる、というイメージもあるように思います。でも、大切なペットならお葬式もきちんとしたいと思うのですから、人間の場合もお葬式がいらないというよりは、今までのようなお葬式を見直しましょうということなのかもしれませんね。
 さて金光教ではお葬式をどう考えますか、というお尋ねでしたね。金光教ではお葬式はその人の人生最後の儀式と考えます。お宮参り、七五三、成人式、結婚式など人生の節目節目を過ぎて、いよいよ最後の儀式がお葬式というわけです。生まれてきた時には、みんなおめでとうと言いますね。そして、成人式も結婚式もおめでとうって言いながら過ごします。そのように過ごしながらの、いよいよ最後の儀式がお葬式というわけなのです。ですから、寂しい、悲しい、辛いというだけでなく、「命を頂いて、尊い人生を送らせて頂きました。ありがとうございました」と神様にお礼を申し上げたい、というのが金光教の考えるお葬式の一番大切な中身となります。亡くなった人の代わりにご葬儀をお仕えする人がお礼を申し上げるという形をとります。
 また、お通夜の中では御霊遷みたまうつしという儀式があります。これは亡くなった人の体から魂を遷して、神様の御許みもとに導くという大きな意味のある、大切な儀式です。生きているということは、体と魂が一緒にある、ということで、死ぬということは体と魂が離れるということなんですね。長年使わせてもらった体にお礼を申して土に帰し、魂を神様の許に導くというわけですから、この御霊遷しはとても厳粛な儀式です。このあたりは、もうちょっと詳しく説明が必要と思いますので、ぜひ、お近くの金光教の教会でお尋ね下さるといいと思います。
 神様に一生のお礼を心から申し上げるためには、かいある人生であることが大切です。その大切な人生の一日、あなたにとって今日がいい日でありますように。

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