●あなたへの手紙
第4回「①毎日空しい/②人の好き嫌い」

金光教放送センター
おはようございます。福岡県の筑豊にある金光教漆生教会の鳥越正克です。
早速ですが、大阪府に住む29歳の女性から、次のような質問のお便りです。
「私が勤める会社は残業ばかりで、自宅と会社を往復する毎日でむなしいのです。同居している両親に家のことを任せっきりで、何もする気になれません。
『毎日が楽しくない』と友人に相談すると、友人が私のことを気にかけて『一度金光教の教会にお参りしてみない?』と誘ってくれますが、教会に行くと何か得をすることがあるのでしょうか?」
こういうお便りです。
そうですか…、あなたも大変ですね。ここで少し、あなたの日々の生活を想像してみましょう。あなたは朝起きたら、食卓に用意されたホカホカの朝食を、急いで食べます。食事をして飛び出すあなたを、追いかけるようにして「お弁当よ!」と、お母さんの声。夜遅く帰宅すると、「疲れたでしょう」と迎えて下さるご両親のうれしそうな顔。そしてあなたを待つ間、何度も温めなおしたであろう料理が、目の前に。よい加減に沸いた風呂の後は、布団に潜ってバタンキュウの毎日、こんな感じではないでしょうか?
そうとしてあなたは、参拝すると何か得をするのか? といったお尋ねでしたね。世の中には、人から損だと見られる事柄でも、ありがたいと思っている人はいますね。するとその人は得をしていると言えませんか?
そこであなたに提案します。自分に感心を向ける目を、少しだけ周りの人に向けてみましょう。周りを見渡すと、あなたを支えて下さっている、多くの人の働きが見えてきて、ありがたくなるはずです。試しにお布団の香りをかいでご覧なさい。あなたが心地よく休めるようにと、お布団をお日様に当て、ふっくらと干して下さったお母さんの思いが見えてきて、満ち足りた心になりませんか? それが得をした瞬間です。厳しい職場を背負って働くのも、実は、神様があなたに「この仕事を通して、社会のお役に立ってくれまいか」と、願われてのことだと私は思います。
またあなたは教会にお参りすることを、ちゅうちょされているようですが、お参りすると大きな幸せを築く元を頂けます。要するに人間は、目先の損得よりも人生の意味を見出せるかどうか、ではないでしょうか。ちょっぴり勇気を出して参拝してみて下さい。決して損はさせません。
次は埼玉県にお住まいの、44歳になる男性からの質問のお便りです。
「私は転勤族なのですが、どこへ行っても個性の強い人が多く、嫌いなタイプばかりに出会うのです。あまり良い思い出がなく、今でも思い起こすと腹が立つことがあります。信心すると、人の好き嫌いが無くなるのでしょうか」といった質問です。
あなたは、ご自分の気持ちに正直な方ですね。お手紙を拝見すると、ご自身の心を見つめ直そうと、努力されているようですね。ありがたいことです。
信心すると人の好き嫌いが無くなるのでしょうか、というご質問ですが、答えを急がずに少し考えてみましょう。ところであなたは、ご自身を本気で大切にしたいと思われていますか? また自分を大切にするということは、どうすることでしょうね。
ここで少し、私の体験を聞いて下さい。子どものころの私は食べ物の好き嫌いが激しく、母に大変心配をかけました。大人になっても、嫌いなものは嫌いと押し通しましたが、それでいて別に不自由は感じませんでした。
そんなある日、金光教の信心をしている父と外食を共にした時のことでした。私の食事の様子をうかがっていた父が「まだ嫌いなものがあるようだな。お前は生きる上で窮屈だろう」と言って、次のような話をしてくれました。
苦い辛いも含めて食物は、人間の命を生かし、体を健やかに育んで下さろうとする神様が、作り与えて下さった恵みであること。その恵みを嫌うということは、私を生かそうとされる神様の働きを避け、神様から遠ざかることである、といったものでした。要するに嫌いな物が多い分、食生活が貧しく生きづらいものになる、ということです。そして最後に父は「人間関係も同じことが言えるぞ」と、話を結びました。
今、地球の人口は60数億人です。でもあなたが一生涯にかかわり合う人の数は、両親から始まってほんの一握りです。この一握りの人たちがあなたを育て、人格を作り、生活の側面を支えているのではないでしょうか。限られた一握りの人たちは皆、あなたのために差し向けられた、神様からの宝物です。人にも苦い辛いがありますが、それを嫌うと言うことは、窮屈な立場を自ら選択していることになります。人生はちょっとしたことで貧しくも豊かにもなるものです。あなたの人生が幸せでありますように、願っております。
