見つかってよかった


●先生のおはなし
「見つかってよかった」

岡山県
金光教邑久おく教会
小林眞こばやしまこと 先生


 生きていればこそですが、日々、いろんなことに出合います。楽しいことや悲しいこと、中には、出来ることなら出合いたくなかったことにも、です。
 それは一昨年、私が還暦を迎えた年のことです。春先から、のどの奥に違和感を覚えるようになりました。その違和感は半年経っても治まらず、十二月に入ったころには、それが痛みに変わって、ついには我慢が出来なくなり、町の耳鼻科で診てもらうことになりました。
 診察を待つ間、いろんな悪い予感が頭をよぎります。
 ところが診察の結果は、意外にものどにはなんの異常も認められなかったのです。ほっと胸をなで下ろしていると先生が、「念のために内科で食道の検査をしてみたらどうか」と勧めて下さるのです。のどに異常がなかったのですから、普段の私だったら、しんどい内視鏡の検査を受けるはずがなかったのですが、なぜか自分にしては珍しく素直に聞き入れることにしたのです。
 ところがその内視鏡の検査で、怪しいものが写ったのです。場所は思いもよらなかった、胃でした。その日から検査の結果が出るまで、落ち着かぬ日が続きました。
 私は金光教の教師をしています。常日頃から、「何事が起こっても、それはすべて神様のお計らいであること、何事もすべて神様にお任せすること、そして、すべてにお礼を言う心を大切にする生き方」の稽古をしています。
 「どんな結果が出ようとジタバタすまい、自分では何も出来ないのだから」。一生懸命、自分にそう言い聞かせました。
 検査の結果、それはがんでした。
 「がんですね。でも初期です。手術になりますね」
 がんという言葉を聞いて、さすがに動揺しましたが、それでもすぐに平静を取り戻すのが分かりました。
 それから手術の日まで、食欲がなくなるでもなし、夜が眠れなくなるでもなしに、普段通りの一カ月を送ることが出来ました。
 〝初期〟という言葉が後押ししてくれたこともありますが、がんの告知を受けて平静でいられることが、自分でも不思議でした。そして、手術をする心配よりも手術が出来る喜びの方が、日ごとに強くなっていくのを感じていました。
 私は教師なのに、そんな立場で言うのもおかしいのかもしれませんが、すがることの出来る神様が身近にあることの心強さを、この時ばかりは本当に思い知らされました。もしすがるものがなかったなら、平静でいられることなど、とても自分には出来なかったはずです。
 それでも白状すると、すぐに完全に神様に全てを委ねることが出来たかというと、そうでもなかったのでしょう、2~3度、こんなことがありました。
 夢の中でお医者さんからガンの告知をされて、そこで目が覚め、「ああ、良かった、夢だった」と喜ぶのですが、その後すぐに、がんは現実なのだと気づき、やはりちょっと落胆するんです。
 手術する病院での詳しい検査の結果、手術は胃の全摘、すなわち、胃を全部取ることになりました。
 「初期だから大したことはない」と思っていただけに、〝全摘〟という、まさかの診断には、さすがにショックを受けました。
 家に帰り、胃を全摘するとどうなるのか調べてみると、やはり食べる苦労を伴うことが分かりました。無くなってしまうと決まってから、いろいろと胃の働きの大事さが分かりました。手術後は、少しずつ小分けにして食べることしか出来なくなります。〝食べ放題〟なんか、もっての外です。泡の出るビールともお別れです。
 最初のうちはこんなふうに、出来なくなることばかりが頭に浮かんで寂しくもなりましたが、そんな時にはいつも、それを打ち消す努力をしました。それは、出来なくなることを中心にしないで、出来ることを中心にして物事を考える、ということでした。
 たとえ胃が無くなっても、生きていける。慣れると、一度に食べられる量は減っても、何でも食べることが出来る、太ることはないので、ケーキもいっぱい食べられる。こんなふうに考えて、いつも自分を元気づけました。
 そして入院、無事に手術も終わりました。手術後は、元気な姿を見てもらうために、いくらしんどくても、朝起きたら必ずひげをそり、髪もシャンプーして、出来るだけ身奇麗にしておくことに努めました。それは、がんという病気で周りに心配を掛け、見舞いまでしてもらい、その上でまた心配を掛けてしまったのでは、あまりにも申し訳ないと思ったからです。
 私は、今回の病気を、「がんになったというよりも、がんが見つかって良かった」と思っています。病気のことは決してありがたいことではありませんが、のどの痛みからという、お医者さんも驚く、まさかのことで胃がんが見つかり、初期の段階で手術を受けることが出来たのです。
 今、あの時の手術から一年が経ちました。おかげで、手術前と変わらないほど体調は戻りました。でも、これで私とがんとの関わりが終わったかと言うと、そういう訳ではありません。先々、CTや血液検査など、定期検診はまだまだ続きます。
 でも、心配はしていません。見えない先ばかりを見ていますとどうしても心配になってしまいますが、私は、そんな不確かな先を見ることはやめて、事実だけを見るようにしました。
 それは、今日もおかげで目を覚まし、そして生かされて生きている今がある、という事実です。そのことを喜び、そして感謝しながら、今日一日を大切にすること、それが一番であると分かったからです。


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