大正生まれ甲府のナイチンゲール


●信者さんのおはなし
「大正生まれ甲府のナイチンゲール」

金光教放送センター


 
 南に富士山、北に昇仙峡しょうせんきょうという日本二大景勝地を望む甲府盆地。
 そのほぼ中心にある金光教甲府こうふ教会に参拝する浅川あさかわやす子さんは現在87歳。長年、看護師をされ定年を迎えましたが、甲府市から功績が評価され、平成4年に、市内のへき地医療を委嘱されました。大きく背中も曲がり、持病も抱えていましたが、今年3月まで、元気にお役に立ってこられました。
 やす子さんは大正13年、現在の山梨県北杜ほくと市に生まれましたが、3歳の時に母親を亡くします。お母さんは、「やす子、やす子」と最後まで名前を呼ばれていたそうです。まだ24歳の若さでした。
 やがて、父親は後妻を迎え、3男2女の弟妹が生まれました。おばあさんは、やす子さんをふびんに思い、とても可愛がって育ててくれました。つらいことがあると、おばあさんは、「やす子はお母さんもいないし、器量もそんなに良くないから、皆からかわいがられ、好かれるようにしないといけんよ。それには、ひとの言うことを素直に聞くこと、勉強をしっかりすることが大事だよ」と諭してくれました。
 やす子さんが12歳の時、おばあさんも亡くなり、継母との関係も厳しい10代を過ごしました。
 やがて、やす子さんは、医者になった叔父を頼って上京し、おばあさんの言われたとおり苦学して、看護師と助産師の資格を取得。叔父の医院を手伝いました。
 その後、昭和23年に結婚して、古里の山梨に帰って来ました。
 しゅうとめが熱心に金光教の信心をしていたことから、金光教甲府教会へ参拝。教会の先生から、「天地金乃神てんちかねのかみは一生死なぬ親である」との教えを受け、母親は亡くなったが、この神様は一生死なない親神様であるという安心を得て、参拝に励みました。
 昭和25年には、市立病院の産婦人科の看護師、助産師として採用されました。ところが翌年、26歳の時でした。盲腸炎にかかり、手術をすることになりました。すると、腸に菌が入り、うみでお腹がパンパンに腫れ上がりました。医療設備や医療品も不十分な時代で、手の施しようがありません。もう助かる見込みはないという診断でした。麻酔を打たれ、意識が遠のいていく中で、「これで楽になれる、この世とお別れ」と思い、深い眠りに落ちました。
 そのころ、教会ではやす子さんが助かるようにとご信者さんが集まり、一生懸命祈ってくれていました。お医者さんたちの必死の看護の末、やす子さんは奇跡的に一命を取り留め、入院から7カ月と7日後、退院することが出来たのでした。
 この経験から、やす子さんは、「私は26歳の時、神様に助けていただいて生まれ変わったのだから…」と、戸籍上の年齢から26を引いた年を自分の年齢と思うようになったそうです。神様に祈って下さった方々、お世話になった方々のご恩に報いようと、いっそう看護と助産師の仕事に打ち込み、やがて市立病院では知らぬ人はいないと言われるほどの名看護師長となりました。
 骨身を惜しまぬ看病で身体を酷使し、背骨はS字状に曲がり、何回もの手術で腹膜に穴が開き、無理をすると腸が飛び出してしまう状態。激痛に襲われながらも、新生児や妊婦を抱き抱えることも惜しまず看護に専念しました。
 ある時、「双子の出産に立ち会い、2人目がなかなか出てこない時、『金光様、金光様』とお祈りし、無事出産出来た時の喜びは忘れられません」とやす子さん。
 定年退職後も、市からの要請で、児童の予防注射、新生児の検診や、訪問看護に力を尽くしました。さらに、平成4年からは診療所のない黒平くろべら地区での、いわゆる、へき地医療のため、医師に同行して看護の仕事を20年近く続けました。
 黒平では水晶の採掘が、大正から昭和30年代まで盛んに行われました。取り尽くされた現在では、かつて多くの家族が移り住んだ山間集落も、高齢化しています。残された数軒の家にはお年寄りが多く、やす子さんは血圧や体温を測りながら、「肩こりには腕のつぼを押さえるといいですよ」とか、「足を伸ばす体操をしましょう」と、声を掛けて回ります。黒平の人々は、お医者さんとやす子さんが来る日を心待ちにされました。
 幼くして母親を亡くし、つらかった10代を過ごしたやす子さん。結婚して、金光教と出会い、〝天は父、地は母〟〝天地金乃神は一生死なぬ親である〟の教えを胸に、驚嘆すべき精神力、人を思いやる優しさで、神様に祈りながら、多くの患者さん、新生児、妊婦さんらを長年看護してきました。「たぶんお母さんなら、こうしてあげただろう」と亡き母に思いをはせ、お世話をされてきたそうです。
 看護師の仕事を始めて67年。今年3月、へき地医療のお役も免除となりました。退職された日には、市の職員や後輩の看護師さんたちから大きな花束と共に、惜しみない賞賛が贈られました。
 やす子さんは言います。「生まれ変わった26歳を引けば、まだ60代」。
 87歳になり、腰が大きく曲がった現在でも、教会に元気に参拝し、境内の草むしりに励んでいます。
 「天地金乃神は一生死なぬ親である」の教えに支えられて、みんなに喜んでもらえるよう、いつまでも世のお役に立ちたいと願うやす子さんです。

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