寮母さんは大忙し


●信者さんのおはなし
「寮母さんは大忙し」

金光教放送センター


 原恵子はらけいこさんは今62歳。ある病院の寮母をして今年で13年になります。
 仕事は主に寮の掃除です。寮には、看護師さん、看護助手さんなどがいますが、原さんは「人の命を預かる病院でのお仕事がうまくいきますよう、居心地の良い寮でありますように」と願いつつ、心を込めてお掃除をします。
 時には様々な相談にも乗るからでしょうか、寮にいた看護師さんの結婚式に呼ばれることもあって「寮母さん、スピーチもお願いしますね」なんて言われるととても大変なんですが、それでもうれしい気持ちでいっぱいになるそうです。
 原さんが大切にしている色紙があります。それは、看護学校の人たちからのものです。彼女たちは、いわば看護師の卵。看護の勉強の傍ら実習のため病院に来ます。その人たちに臨時で寮を使ってもらうのですが、せめて家にいてくつろぐような気持ちになってもらおうと、大きな声で「おはよう、頑張ろうね」「お帰り、今日も一日お疲れさま」と声を掛け、積極的に話を聞くようにしていました。
 すると次第に彼女たちは「今日患者さんとうまく話しができなかった」「先輩にしかられちゃったわ」というような悩みも打ち明けてくれるようになってきたのです。「寮母さん」と言っていたのがだんだん「原さん、原さん」と言ってくれるようにもなりました。そして実習が終わった時には、写真と共に「あなたの言葉に癒されました」「お世話になりました。ありがとう」などとたくさんのメッセージを書いて渡してくれたのです。
 「こんな触れ合いが頂ける、今の仕事がうれしくてありがたくて」と言う原さんですが、彼女にとって天職とも言えるこのお仕事を頂いたのは50歳の時、最愛のご主人との別れを乗り越えてのことでした。「神様の大きなお働きがあってこそ、ここまで来れたのです」と原さんは語り始めました。
 原さんの故郷は愛媛県。昭和23年生まれ、いわゆる団塊の世代です。
 都会に憧れ、18歳の時、神戸で大きなパン屋さんに就職しました。やがて、ケーキ職人のご主人と結婚し、2人の子どもにも恵まれました。幸せな日々でした。夫婦で一生懸命働いて、駅前に小さなお菓子屋さんも出すことができました。お店も繁盛し、順風満帆。
 ところがお店を持って4年目、原さん40歳の時、ご主人が肺がんにかかっていることが分かったのです。それも手術すらできないという状態でした。
 途方に暮れた原さんは故郷のお母さんに「助けて。どうしたらいいの」と悲痛な電話を掛けました。それに対してお母さんは「西川にしかわ先生が大阪の藤井寺ふじいでら教会におられる。そこにすぐ行きなさい」と、こう言ったのです。
 お母さんは熱心な金光教の信者でした。そのお母さんが一番信頼している先生が今は大阪で布教しておられるというのです。金光教の教会にはお母さんについて何度かお参りしただけの原さんでしたが、矢も盾もたまらずご主人と共に電車を乗り継いで藤井寺教会に向かいました。
 先生は、2人の話を聞いて「大丈夫。心配することはないですよ」と言って下さいました。心強い気持ちが広がりました。ご主人は、お話の一つひとつをしっかりと噛みしめて聞き、その帰り「いい先生に出会えて良かったな」と原さんに言ったのです。先生と出会うことで、病気と闘う勇気がわいてきたのでした。
 その後もご主人の体を気遣いながらではありますが、2人は何度も教会に足を運び、先生のお話を聞きました、そのお話を通してご主人は自分を生かして下さっている神様のお働きに気付き、一日の終わりに、「今日も一日ありがとうございました」と命のお礼を欠かさなくなりました。
 最終的にはがんの転移は食い止められなかったのですが、それでも治療を進めるうちに手術もできるほどに体力も戻りました。手術後、小康状態も得て、もう一度家に帰り、お店に立ってケーキを焼くこともできました。
 家族にとって愛する人が病に苦しむ姿を見るほど悲しいつらいことはありません。しかし、ご主人はまるで横に神様がついていて下さるから安心、とでも言うように穏やかに、みんなのことを気遣いつつ、亡くなったのです。実家の母は「心が助かったんだよね、神様のおかげを頂いたんだよね」と言いましたが、そのご主人の姿に何より家族の心が助かったのです。
 その後、高校生と中学生の娘を抱え、原さんは会社勤めを始めました。ところが、その会社の経営が行き詰まり、仕事が無くなるかもしれないと思った時「あなたにぴったりな仕事がある」と、この寮母の仕事を紹介してもらったのです。神様が働いて下さったと言わずにはおれないほどの見事なタイミングでした。
 それから13年の月日がたちました。時代の流れか、初めは40人ほどもいた寮生も今や3人。だから定年の時には退職を言い渡されるかと覚悟していたのに、仕事を続けることができました。
 その代わり、寮以外に院長室など、掃除の範囲がずいぶん増えたのですが「お母さん、この時世に仕事が増えるなんてありがたいことだよ」という娘さんの言葉に背中を押されながら「神様、今日も人のお役に立つ仕事ができますように」と願いつつ原さんは、家を後にするのでした。

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