光はいつも頭の上に


●先生のおはなし
「光はいつも頭の上に」

島根県
金光教今市いまいち教会
森山恵美子もりやまえみこ 先生


 突然、思いがけない災難や病気に見舞われたら、あなたは一体どうしますか? きっと取り乱したり、不安で動けなくなったりするかもしれません。
 私もそうです。顔かたちや生まれ育ちが少々違っても、一皮むけば、皆、生身の体と心を頂いて、今日を必死で生きています。出来れば何事もなく、平穏に過ごしたいと願うのですが、現実はとても不確かで、絶対という約束のない世界を、一生懸命泳いでいるのがお互いなのではないでしょうか。
 これは、3年前、私の身の上に起こった出来事です。ある日突然のことに、心は乱れ、落ち込みました。でも、もがいているうちに、そこから大きなものと出合いました。そんなお話を聞いて下さい。

 私は、島根県にある金光教の教会に奉仕しています。3年前の平成19年。教会が開かれて80年という記念の年を迎えました。信奉者の方々と、お祭をどうお仕えしようか、講演会は、記念冊子は、といろいろ相談し、時間をかけて、ようやく形になってきた頃のことでした。
 いよいよ1週間後に迫った日のこと。母が、突然、倒れたのです。教会長である父を支え、家族を支え、縁の下の力持ちとして心を砕いて長年頑張ってきた母が、背中に激痛が走り、突然、倒れたのでした。すぐに救急病院へ運び、検査の結果、急性大動脈解離ということが分かり、即入院となりました。
 大動脈というのは、体の中心を走る一番太い血管で、心臓から内臓の各器官へ血液を運ぶ働きをしています。普通の大人でその太さは直径30ミリほどあり、血管壁は3重の層になっているそうです。母の場合は、血管の内膜が破れて血液が流れ込み、薄い膜で持ちこたえている。これがさらに膨らむと命に危険があるので即手術になるとのこと。手術の成功率は良くて5割、無事生還しても何らかの障害が残る場合もあるという、厳しい宣告でした。
 「3日間は何が起きるか分かりません。今は流れ込んだ血液が、自然に固まりだし、解離は止まっています。血圧を下げ、負担を軽くしながら、このままふさがってくれるのを祈って待つしかありません」。お医者さんはそう言いました。あちこちに管を付けられ、モニターに繋がれた母をICUにお預けして、父と私は、深夜、自宅へ戻りました。
 「とにかく、ここからおかげを頂くしかない」。そう話し、静まり返った神前に向かって、長い時間2人で祈りました。正直、何をどう願っていいのか分からない気持ちでした。目の前に起きていることに、頭と体がついていってない。そんな感じすらしたのです。
 翌朝、私は起きてすぐに、境内けいだいにある奥津城おくつきの前に座りました。それは亡くなった方の御霊みたままつる石のおやしろで、足下には半畳ほどの広さの石が敷いてあります。私は、気持ちが定まらない時、ここにじっと座り、気持ちが落ち着くのを待つことにしています。この日も同じように冷たい石の上に座り、静かに目を閉じました。11月の寒い寒い早朝のことです。
 「神様、おじいちゃんおばあちゃん、母が今、大変なことになっています。どうか助けて下さい」。口に出してはみたものの、落ち着かなくて、その先、何も思えません。でも、このまま立ち上がるわけにもいかない。5分経ち、10分経ち…、しばらくすると石の冷たさが気にならなくなり、自分の中の迷いや不安がスーッと体の中から下に降りていくような感じがしました。すると、ふっと、頭の上を風が渡っていくのを感じました。木々のさわさわと揺れる音が聞こえ始め、しだいに明けてくる空の色や、遠くを走る電車の音や近所の物音などが急にざわざわと聞こえ、周りの様子をどんどん肌で感じるようになってきました。
 すると、こんなことを思ったのです。あぁ、私がどんな状態であっても、私の足下には大地がしっかりと支えてくれている。私がどんな状態であっても、頭上には風が吹きわたり、空が広がっている。
 母はお医者様に「3日が山」と言われたけれども、今、この瞬間にも生きているじゃないか。今日、明日の命がどうなるか分からないのは、誰であっても同じこと。でも、今この瞬間、生きとし生けるものすべてが、同じように限りない働きに支えられて命を繋いで頂いている。このことも動かしようのない事実だ。そう思えると、自然と腹は据わってきました。よし! 私はこの働きを信じて、ここに命を託して、私は私の出来ることをしよう。精いっぱい、今、出来ることをさせて頂こう。
 それからの1週間は、病院の往復と、記念祭の準備とで目の回るような忙しさでしたが、不思議と心は一度も凹みませんでした。そして、母は、日一日と力を頂き、何もしないという、最善で最高の治療を頂いて、だんだんと回復させて頂きました。
 1週間目、記念祭当日。朝からの雨と風も、すべての行事が終わる頃には、すっかり止み、気が付くと、低い雲の切れ間から光が射し、大きな大きな虹が出ていました。それも、くっきりとした虹の上に、同じように大きく弧を描いてもう1本。11月の暗い空に、スーッと伸びる大きな大きな二重の虹。まるで、神様が「よく頑張ったね」と祝福してくれているようでした。

 生きていれば、予測もつかないようなことが誰の身にも起きてきます。人にぶつかって転んだり、心が傷ついて動けなくなることも。でもそんな時でも、あなたの一番下は揺るぎない地面が支えていてくれ、頭の上は限りない働きがじっと包み込んでくれています。今は少し見失っていたとしても、その働きを信じて、今日は今日の、私は私の出来ることを精いっぱいさせて頂こうではありませんか。
 さあ、新しい一日の始まりです。

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