●あなたへの手紙
第3回「①夫婦円満/②めぐり合わせ」

金光教放送センター
おはようございます。鳥越正克です。
佐賀県にお住まいの、30歳になる女性からの質問です。
「恋愛結婚して5年になります。これからもずっと夫婦仲良く、家庭生活を続けていきたいと願っています。そこで私なりに、家庭に関する本を買って勉強していますが、色々な解説があり迷っています。金光教では夫婦円満の秘けつをどのように教えていますか」
こんなお便りです。
あなたが家庭生活のあり方について、真剣に取り組んでおられることをうれしく思います。さてご承知のように、各分野の専門家が書いた本を始め、一般の方々が書いた体験談を含めると、膨大な数の本が出ていますね。それだけ人によって価値観が違うということです。
どれもそれぞれ大切なことが書かれているようですが、言い換えると、これが絶対とは言えないところがあるということです。
ですからここでは、私が金光教の信心をさせていただきながら、30数年にわたり取り組んできた家庭生活についてお聞きいただきたいと思います。
私が結婚を決意した時に父が、「神様のご縁を大切にせないかんばい。また大事な娘さんを頂くのだから、これからは、先方の親様に孝行せんといかんなあ」と言ってくれました。
私たち二人はお互いを見初め合って結婚したのですが、出会うということは、実は神様の賜り物であると、分からせていただきました。
父の言葉を受けて、私は神様が結んで下さった夫婦であることを自覚し、これからの生活指針としました。
そして、妻がここにいてくれることは、妻の両親の大変な苦労があってのことですね。ですから私は妻の誕生日がくると、妻の親に電話をして、「妻を産み育てて下さり、ありがとうございます。もう何歳になりました」と、お礼を言うのです。その度に妻の母は、「こうまで言って下さるのはあなただけよ。ありがとう」と喜んでくれます。更に、今は亡き私の両親の霊前にもお礼の報告をします。こうして、親あっての自分であると思えることが、夫婦が幸せになっていくことだと信じて、欠かすことなく実行しています。
実は私の娘が近々結婚するのですが、その娘が「結婚したらお父さん、お母さんのような夫婦になりたい」と言ってくれるのですよ。とてもうれしく思いました。
少しはご参考になりましたでしょうか。
それでは次に、大阪にお住まいの、52歳の女性からのお便りです。
「近所に金光教を信心する女性がいます。その方が『めぐり合わせの悪い私だったけど、信心していくうちに段々とおかげを頂いてきたの。ありがたいわ』と、事あるごとに口にします。めぐり合わせという言葉が気になるので教えて頂けませんでしょうか」
このような内容です。
信心してご利益を頂くということは、どなたにも理解できることですね。でも、そこに「めぐり合わせ」という言葉を使われると、「それって何なの?」と疑問を持たれることでしょうね。
金光教祖はめぐり合わせについての教えの一つに、「父母に孝行が第一である。孝行をすれば末で幸せになる。不幸をすれば末で巡ってくる」と、教えられています。これは、いのちを授けて下さっている神様の働きや、血肉を分け与え、産み育てて下さった両親への感謝を忘れると、結果として自らが立ち行かなくなる、と言っておられるのです。何事も、今あるもとを大切にしていきたいものですね。
もう40年も前のことになりますが、熊本旅行に行った時に、急に激しい雨に遭いました。せっかくの野外観光を中断し、一軒の野菜を売っているお店で雨宿りをしました。
不満を口にしていると、店のおじさんが奥に招き入れて、「ちょっとこれ食べてみらんね」と言って、生のお米や野菜を薦めるのです。嫌々食べてみると、これが意外やおいしいのですね。するとおじさんが、「野菜がみずみずしかろうが、雨に文句ば言っとるばってん、あんたたちは水ば食べとるとばい」と言ったのです。ガン! ときましたよ。
人間という字は、人の間と書きますが、産まれ落ちてこのかた、どれだけ多くの人に支えられてきたことでしょうね。でも油断していると、自分の思うどおりにしたいと言う欲にとらわれ、お世話になっている人たちにさえも不足に思うのも人の常ですね。
こうした不足の心持ちで生活を進めていくと、人間関係や事柄の上で困ったことを生み出します。それが悪いめぐり合わせといわれるものです。
あなたの友人である女性は、このことを理解された上で、不足ばっかり言っていた生活から、すべてにお世話になっての私なんだ、と、心の向きが大きく変わっていかれたのでしょう。こうして心のあり方が変わらされる中で、だんだんと良いめぐり合わせとなっていかれたのですね。
感謝することは、有形無形とたくさんあるはずです。気づこうとしなくては気づくことができない天地のお働きやお恵みに加え、当たり前と思い過ごしてきた人や物への不足を心よりお詫びしていくことです。形で返すことのできない大きな恩は、感謝の心で返していきたいものですね。
心の中を見つめに一度、教会を訪れてみませんか。
