シリーズ「あなたへの手紙」第2回「①めげない心/②祈りの姿」


●あなたへの手紙
第2回「①めげない心/②祈りの姿」

金光教放送センター


 
 おはようございます。石川教子いしかわのりこです。
 50代の女性からのお便りです。

 「私の知人は、熱心に金光教の信心をしていますが、交通事故に遭ったり、夫の死、子どもの不登校などと不幸せが続いています。信心していても、次々と問題が起きてくるものなのですね。しかし、彼女はそのことに全くめげずに明るく生きています。どうしてでしょうか」
 という質問を受けました。

 そうですか。どうして次々にそのような問題が起きてくるのでしょうかね。それも熱心に信心しているのにね。
 しかしですよ、例えば来年の今日、自分がこの世に生きているだろうかと考えてみると、絶対に生きているとは言えませんね。だれにも言えないはずですよ。人間は生身ですから、思わぬ時にけがをしたり、患うこともありましょう。決して、自分がそうありたい、という通りには生きられないんです。それは、信心していても言えることです。
 それにしても、どんな問題が起こってこようとめげない彼女は、大した方ですね。それまでの体験を通して、新しい問題が起こっても、きっとそこから良いものが生まれてくると確信しているのでしょう。
 こんなお話があります。私の友達のお母さんは70歳を越えているのですが、スーパーマーケットからの帰り道、重い荷物を持って、車の往来の激しい坂道を歩いていたんです。
 その時、土砂降りの雨に見舞われました。無事に家に帰りついたその方は「両足があるから歩ける。さらに、荷物が持てる。坂道が歩ける体力が私にはある。目が見えて、耳が聞こえるから無事に帰ることが出来た。私ほどありがたく、うれしい気持ちであの坂道を歩いていた者はいないのではないだろうか」と喜んだそうです。
 土砂降りの雨の中でも、良いことを見つけて感謝するか、何で私がこんな目に遭わなきゃならないのかと愚痴るのか、その選択の自由が私たち人間には与えられているんですね。その方は感謝することを選んだんですね。
 良くないと思えるようなことが起こってきても、心の器を大きく育ててもらうチャンスと心得て、逃げずに取り組んでいきたいものですね。そうすれば、どんな問題の中にも喜びを見つけることができるし、苦しんでいる人の心に寄り添うことができるようにもなってきます。それが本当に、いのちの喜ぶことではないでしょうかね。
 きっと、あなたのお知り合いの女性もそうしておられるのだと思います。
 もし、金光教についてお知りになりたいことがありましたら、どうぞお気軽に最寄りの教会をお訪ね下さい。

 次に20歳になる会社員の女性から、
「私の祖母は、金光教の信心をしています。毎日朝晩、家のご神前で長い時間をかけて祈っています。祈るということにはどんな意味がありますか」
 という質問が寄せられています。

 そうですね、信心する者にとって祈りは、欠かすことのできない信心実践の最も大切な営みの一つです。人間は自分の力で生きているのではありませんね。祈りは、私を生かして下さっている神様と心を通わす対話なのです。
 祈りは、ただこちらの願いを一方的に神様に向けるだけではなく、同時に神様の人を助けようとする思いを受け取っていこうとする営みでもあります。
 あなたはご自身のことで真剣にお祈りをしたことはありますか。
 祈りを続けることによって、祈りの内容が豊かになってくるんです。始めは、自分のことだけを祈りますよね。でも、家族が幸せにならなければ、自分も幸せになれませんね。それで、家族のこと、身内のことへと、祈りが広がってきます。
 そうしていると、知人、友人のことから、今すれ違ったあの方、この方のこと、やがて世界の平和に至るまで祈れるほどに心が広く大きく豊かに育っていきます。
 もう亡くなられた方ですが、熱心に信心をされてきた、あるおばあさんの話を紹介させて下さい。
 その方が101歳の時、骨粗しょう症になり、背骨がつぶれて入院することになりました。そのおばあさんのお孫さんが見舞いに駆け付けました。
 「おばあさま、寝たきりで退屈だよね」と気遣うと、おばあさんは「私には生きがいがあるのよ。ここに来たら、お医者さまのこと、看護師さんのこと、お世話をして下さる方や、そのご家族のことをお祈りしていたら時間が足りないの」と言ったそうです。
 その時、看護師さんが注射を打ちに来ました。ところがなかなかうまくいかない。何度もやった末にようやくできたのですが、おばあさんは「ありがたいなあ。神様は、この動けなくなって人の役に立たなくなった私でさえ、こうやって看護師さんの練習台としてお使い下さる。お役に立てて下さる。ありがたいなあ」と喜んだそうです。骨がつぶれて痛い身でありながら、人が助かることを最高の喜びとしておられるのです。
 人が助かることを祈れることは、人生において最も尊い大切な営みであると思われませんか。
 祈るということには、そういう中身があるのです。きっとあなたのおばあさんも、自分のことはもとより、あなたのこと、ご家族のこと、知り合いの方々のことを祈っておられることと思います。
 どうぞあなたも自分のことを祈ることから始めてみませんか。

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