●信者さんのおはなし
「神様を杖に」

金光教放送センター
「でも、結婚したら、やめないとね」
日頃金光教の教会にお参りしている孝子さんは、そのことを結婚相手に話してみたのですが、その時に返ってきた答えがこれでした。
(え? もうお参りするなってこと?)
孝子さんはとっさに、聞こえなかったふりをして話題を変えました。教会のない生活なんて、考えられないことだったのです。
幼いころから母親に、「神様を杖にしていくんだよ」と教えられて育ちました。その言葉の通り、神様は目には見えないけれど、とても力強い支えになって下さると、孝子さんは感じていました。教会にお参りすると、不安な気持ちがスッと消えて、勇気が湧いてきます。孝子さんにとって教会は、なくてはならない、安心と元気の源なのです。
でも困ったことに、夫になる人は、信心には全く関心がなさそうです。
初めて顔を合わせたのはお見合いの時。口数は少ないけれど、がっしりした体格で、見るからに男らしく、頼りがいがある人だと思って結婚を決めました。実際、心根はとても優しいのですが、少々頑固なところもありました。
(この人に信心のことを理解してもらうのは、一生無理かもしれないなあ)
それ以来、孝子さんは、夫との間では信心の話題を封印することにしたのでした。
結婚した後も、孝子さんは、夫の目を避けて、近くの教会に足を運びました。
そして11年後、関東への転勤が決まり、孝子さんたち夫婦は3人の娘を連れて、それまでの勤務地であった愛媛県から埼玉県に移り住むことになりました。
そこでも孝子さんは、金光教の教会を探しました。人に道を尋ねながらようやく探し当て、お参りすることが出来た時、まるで実家に帰ったような、心安まる思いがしました。教会の先生は、ずっと昔から知り合いだったような親しさで、温かく迎えて下さいました。見知らぬ土地に越して来て、誰一人知る人もない中で、頼れる人やホッと安心出来る場所があるということを、これほど心強く思えたことはありませんでした。
しかしそのころになっても、孝子さんのお参りは、夫に隠れてのものだったのです。
(正々堂々とお参り出来たら、どんなに気が楽だろうか)
そう思った孝子さんは、ある休みの日に、思い切って話してみました。
「今日は金光教の教会で毎月のお祭りがあるんだけど、一緒にお参りしてみない?」
「そうか、じゃあ、行ってみようか」
拍子抜けするぐらいにあっさりと、夫は同意してくれたのです。
これまで必死に隠してきたつもりでしたが、たぶん前々から、夫は知っていたのでしょう。そして、この甲斐甲斐しく尽くしてくれる妻の優しさや朗らかさが、教会参拝に支えられていることを見抜いてもいたのでしょう。やがて一家そろってのお参りが実現し、孝子さんはこの上ない幸せをかみしめるのでした。
ところがその喜びもつかの間、夫の体の中に、異変が広がり始めたのです。
夫が52歳の時でした。頻尿と腰の痛みが続くので、病院で診てもらうと、前立腺がんが夫の体を深くむしばんでいました。
「骨や肺にも転移していて、もう手術は出来ないが、ホルモン注射で治療していけば、2年ぐらいは大丈夫だろう」とのことです。医師から説明を聞く間、孝子さんは取り乱しそうになる自分を抑えるのがやっとでしたが、夫の様子を横目でうかがうと、夫は不思議に、少しの動揺もなく静かにうなずいているのでした。
後で医師は、孝子さんだけに、「先ほどは2年と言いましたが、実は、1年持つかどうか分かりません」と告げました。
病院からの帰り道、夫の運転で、2人は教会にお参りしました。先生は、一緒に神様に祈って下さり、優しく、しかし力を込めて、こんな話をして下さいました。
「人間は、心配事にとらわれてしまうと、嬉しいこと、ありがたいことが見えなくなってしまいます。神様から命を頂き、守られ続けてここまで来た。そのことにしっかりお礼を申し上げ、希望をもってお願いしていきましょう。神様は出来る限りのことをして下さいますから、心配せず、何事もお任せしていきましょう」
夫は、心に刻みつけるように、その言葉を黙って聞いていました。
がんの告知を受けて一週間もしないうちに会社から転勤の辞令が下りました。なんと、愛媛に転勤せよというのです。「これを機に仕事を辞めて、治療に専念したら」と勧めましたが、夫はかたくなに聞き入れませんでした。
1年持たないかもしれないと言われていた夫は、結局、治療を受けながら3年間、亡くなるぎりぎりまで働き続け、故郷の愛媛で静かに一生を閉じました。孝子さんは、夫を失った悲しみの中にも、神様が出来る限りご配慮下さったことに、感謝せずにはいられませんでした。
闘病中、腰が痛んだり、抗がん剤の副作用で苦しいことがあっても、夫が家族につらさを訴えることは、ついぞありませんでした。それは、元来の辛抱強さと家族への思いやりに加え、神様という目に見えない杖を得たからでしょう。孝子さんの知らない間にも、夫は時折一人で教会に参拝し、自分の体のこと、家族の行く末を神様に祈り続けていたようです。
「もうやめなさい」と言っていた信心を、いつの間にか本人がするようになり、しかも神様を杖に、生き死にの不安さえ乗り越えた夫。孝子さんは遺影を見ながら語りかけます。
「わずかの間に、あなたの信心は私を追い抜いてしまったのかもね。あなたはやっぱり、お見合いの時に思った通りの人だったわ。かっこよかった!」