和賀ちゃん、笑顔をありがとう


●先生のおはなし
和賀わかちゃん、笑顔をありがとう」

金光教額田ぬかた教会
河邉芳美こうべよしみ先生


 金光教の教会に奉仕する私は、男の子と女の子の、2人の子どもを授かりました。
 下の女の子は、ダウン症で、その上、心臓に障害を持って産まれました。
 妊娠4カ月の時に産婦人科の先生から、「赤ちゃんの首が太いから、5、6カ月になったら、大学病院で検査を受けなさい」と言われ、さらに、「心臓の音も悪いようです」とのことでした。ぼう然となって教会に帰ったのを覚えております。
 教会の玄関に入るとすぐ、カレンダーに書いてある教祖様の教えが目に飛び込んできました。そこには、「子を産むはわが力で産むとは思うな。みな親神の恵むところぞ」とありました。
 「そうだ。神様から頂いた命だ。何をうろたえているのか」と思い直し、産ませていただこうと思いました。
 1カ月後、大学病院で検査を受けると、重度のダウン症だと言われました。通っている産婦人科の先生は、「ダウン症だからという理由で堕胎はできない。母親が精神的に育てられないとか、経済的な理由なら堕胎できます。いずれにしろ、1週間のうちに産むか産まないか、早く決断してほしい」と言われました。
 私は、神様からお恵みを頂いた子であるし、お腹の中ですでに動いていて、堕胎するのは可哀想と思いました。また、友だち夫婦が障害のあるお子さんを育てていて、夫婦の生き生きとした様子を見ると、神様から、何か広大なお働きを頂いたのだと感じていました。私たち夫婦も子どもを通して仲良く助け合い、信心を深めたいと思いました。
 その中で、上の息子の将来も考えました。親が死んだら将来的に息子が妹を見るだろうが、息子にも息子の人生があるから負担は掛けたくはない。ゆえに親は早く死ねないとか、また結婚ができるだろうかとか、色んな角度で考えました。でも、その時はその時、神様に祈れば神様が良いようにしてくださる。堕ろして後悔はしたくない。それに産まれてくる子も外の世界を見たいだろう、その方が幸せだろうと思いました。そして、家族からも産むことの了解を得られ、胎動がある度、元気で動いてくれていることや、神様とこの子のおかげで、妊婦にならせていただいていることに、お礼を申しながらお腹をさすりました。
 4月13日、可愛らしい女の子が産まれました。名前は「和賀菜わかな」と名付けました。和賀菜の「和賀」は、平和の「和」と、賀正の「」と書いて、和賀わかと読みます。
 この「和賀」という字は、金光教では、自分の心が和らぎ喜ぶことを指します。私自身が、この先子どもにいかなる障害があろうとも、和らぎ喜び、お礼が言えるようにと、自分の戒めとして、また、子ども自身が、この世に産まれてきて良かったとお礼が言えるようにとの願いを込めて、そして、ふと家の畑を見ると菜の花が咲いていたので、「和賀菜」と名付けました。
 産まれてすぐ、娘は心臓の手術を受けなければならず、心が痛みましたが、手術ができる体力を頂いていること、手術ができる技術があることに感謝しました。
 結局3歳まで、毎年心臓手術を繰り返し、4回も胸を開きました。また風邪を引く度、入院をしましたが、元気いっぱいで、心臓が悪いとは思えないほど、いつも飛び跳ねていました。
 成長は健常児に比べるとゆっくりですが、運動面が発達すると、言葉の発達や生活面で、出来ることが増えてくるということが分かりました。障害のある子を持ってみて初めて、健常児の息子はどれだけおかげを頂いているのかと計り知れず、感謝が足りない自分だったと気付かされました。
 病気と闘って入院が多かった娘でしたが、自分から、「我慢、我慢」と言って点滴の注射を泣かずに受けたり、頑張り屋で愛嬌があり、明るいのです。
 そして、学校の先生からは、「和賀ちゃんは優しい心で人をいたわることができますね。私が疲れていると、そっと後ろに回って、肩をもんでくれました」と教えてもらい、私自身も、心の優しい、笑顔の絶えないこの子のおかげで、安らぎをもらえ、助けられました。
 そんな娘も、3年前、感染症にかかり、敗血症で亡くなりました。11歳という短い命でしたが、みんなから、「和賀ちゃん、和賀ちゃん」と愛され、可愛がられた一生でした。
 色んな病気と闘ってきた娘ですが、もしかしたら、もっと過酷な病気にかかっていたかも知れません。そして、妊娠するといっても色んな条件がそろわないと妊娠はできません。そのお働きを下さる神様のおかげの中で産まれてきて、神様のお働きの中で亡くなったのだと思います。
 娘のおかげで、障害という、今まで知らなかった世界を見させていただき、心臓の色んな病気を持った方たちとも出会え、また、多くの方に支えられ、健常児とは違う世界から、世の中を見ることができて、改めて、人への思いやりや、優しさを育てていただいたように思います。
 娘と共に歩んだ11年間は、私の掛け替えのない一生の宝です。
 神霊みたまとなった娘が喜んでくれるように、一層信心に励みたいと思います。

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