●私からのメッセージ
「旅の途中で」

兵庫県
金光教阪急塚口教会
古瀬真一 先生
おはようございます。兵庫県尼崎市にあります金光教阪急塚口教会の古瀬真一と申します。どうぞよろしくお願いいたします。
私は、次の誕生日を迎えると還暦。60歳になります。若いつもりでいましたが、疾うの昔に、人生の折り返し地点を通り過ぎてしまっていたようです。去年あたりから、「私はこれまで何を残して来たのだろう。これから、どのように生きて行けばいいのだろう」と、時々、ひどく気持ちが沈むようになりました。
今年になってからは特に、両親の老いのことが、気にかかるようになりました。教会長である父は91歳、母は84歳ですから年相応だとはいえ、忘れっぽくなったり、足元が覚束なくなったり。横になることも増えました。両親の具合を慮りながら、一緒に教会の運営のことを進めていくので、スムーズに事が運ばないことも増えてきました。親族の冠婚葬祭などのため、遠方まで出掛けたいと言うのですが、付き添いなしで行ってもらう訳にはいかなくなってきた中で、母の兄である86歳の伯父が、肺炎で入院。「急激に悪化していて容体は厳しい」という連絡が入りました。
その伯父は、28歳で、関東の地方都市に新たに教会を興し、少年院に収容されている少年たちの立ち直りにも、長年力を尽くし続けている金光教の教師です。「一人ででも行く」と言って飛んで行きそうな母に私も同行し、お手本のように思ってきた伯父を見舞う旅に出ることになりました。
新大阪駅から、東京行きの新幹線に、母と二人で乗り込みました。すぐ横には、幼い子どもを2人連れた外国人の夫婦が、3人がけの席に座っています。後で分かったことですが、お子さんは、4歳と2歳。ぱっちりした目が愛らしい、お人形さんのような姉妹でした。退屈し始めたら、親御さんは優しく声をかけ、お絵かきなどのおもちゃを繰り出して、静かにするように仕向けます。お子さんは、ずっと楽しそうにしていました。「お父さんお母さんもお子さんも、皆すごいなあ」と、私は、自分の娘たちが幼かった頃のことを思い出していました。
静岡辺りだったでしょうか。少し話ができました。フランスから、子ども連れでの家族旅行だと言います。成田に着き、東京や横浜を観光して大阪へ。そこから京都や広島へも足を伸ばしたそうです。「今日はどこ行くの」と聞きますと、箱根で泊まり、その後、成田から発つ予定だということでした。
晴れていたら綺麗に富士山が見える辺りを走っていましたが、窓には雨粒が流れています。「生憎のお天気で残念だ」と話すのを聞いて、「みんな同じように感じるんだな」と、親しみを覚えたり、「あなたの国は、とても美しい」と褒められてうれしくなったり…。そんな交流もできました。その時、何やら視線を感じたのでふと見ると、子どもたちが、お母さんの陰に隠れつつ、ちら、ちらと恥ずかしそうにこちらを見ているのです。そして私と目が合うと、「いないないばぁ」みたいに、愛らしい表情で微笑みかけてくるのです。何度も何度も…。何とも可愛らしく、心が安らぐひと時でした。
人生の長旅には、つらいことも、楽しいこともあるのだと、神様が教えてくださったように思えました。
そんな旅の末に集中治療室で面会した伯父は、人工呼吸器に助けられ、点滴の管などをつけて横になっていましたが、とても喜んでくれました。私たちの言葉を聞き取り、筆談で、意思の疎通ができました。病室を出る時には、元気な時と変わらない、キリッとした眼差しで私を真っ直ぐに見つめ、少し痛いほどの強い力で、差し出した私の手を握り返してもくれたのです。あらゆることを悲観的にとらえがちになり、先への楽しみを抱きにくくなっていた私のほうが、元気づけられたのでした。
名残惜しさのあまり振り返ると、ベッドの上の伯父は、目を閉じて胸の所で両手を合わせています。きっと、母や私との今日の出会いが叶ったことを感謝して、祈りを込めていたに違いありません。そんな伯父のベッドサイドには、墨で書かれた色紙が飾られていて、そこには、金光教の教えの言葉がありました。「元気な心で信心せよ」と。
年を重ねようが、病と戦っていようが、いまを受け入れて、人との繋がりを喜び、感謝を忘れない姿こそ、「元気な心で信心せよ」という教えのままの姿なのだと、私は、伯父に教えられたわけです。
あれから約半年。伯父は、リハビリ病院で療養を続けながら、信者さんたちから届いた相談の手紙に目を通し、祈りを込めているそうです。私は、私で、これまで通り教会で、両親、祖父母らが重ねてきたように、様々な年代、立場の人たちの悩みなどを聴き受けて祈り、励まし、元気づけ、今があることを共に喜びながら、授かっているいのちを生きています。そして、時々、「成人したあのフランス人の姉妹が、年を重ねたお父さんお母さんのそばで、『日本に行った時、こんなふうだったね』と話をしている。そうなったら素敵だなぁ」と想像してみるのです。
車内での出会いも、病室での伯父からの無言の励ましも、これからさらに人生の旅を続けて行けるようにと、神様が用意してくださったのでしょう。先のことを考えて心配しても、私には何も分からないのですから、明日の出会いを楽しみにして、今をしっかり生きて行こうと思うのです。
