●ラジオドラマ「ことの葉じんわり」
第5回「幸せ貯金箱」

金光教放送センター
登場人物
・明美 (主婦)31歳
・良介 (夫)35歳
・慎一 (息子)5歳
・雄太郎(会社員)70代前半
・ハル (雄太郎の母)90代
・智子 (看護士)20代
・医師 50代
明 美:しゅ、腫瘍が出来ている? 私の卵巣の中に?
医 師:…ハイ。
明 美:困ります! あたしのおなかの中には、今、2人目の子どもが!
医 師:大丈夫。おなかに赤ちゃんがいても手術は出来ます。すぐ入院して下さい。
明 美:…せ、先生…。
明 美:(うなされて)…慎一、ごめんなさいねー。お母さんがいなくなっても、一人で強く生きていくのよ。
慎 一:イヤだ、イヤだッ。イヤだーッ。
良 介:(途方にくれて)明美…。
明 美:(泣く)
明 美:(夢の中で泣いている)
智 子:どうかなさいましたかーッ。大原さーん!
明 美:(ハッと目覚めて)…看護師さん。…あたし、今、怖い夢を…
智 子:うなされてらっしゃいましたね。今日は朝から検査がたくさんありましたから、疲れて眠ってしまわれたのでしょう。このお薬、寝る前に飲んで下さい。
(カーテン閉める)
明 美:薬なんて飲む必要ないわ。どうせ死ぬ運命なんだもの。…あーあ。
ハ ル:♪――、ソソラ ソラソラ 兎(うさぎ)のダンス♪
明 美:(心の声)お隣りのベッドの、おばあさんが歌ってるんだわ…。
ハ ル:♪タラッタ ラッタ ラッタ ラッタ ラッタ ラッタラ♪ 明 美 (心の声)寝ながら歌う童謡じゃないでしょ!
ハ ル:♪脚で 蹴り蹴り ピョッコ ピョッコ 踊る♪
明 美:人の気も知らないでー!
ハ ル:♪耳に鉢巻 ラッタ ラッタ ラッタラ♪
明 美:あー、耳栓でも持ってくりゃよかった! ちょっと、ちょっと…お隣りさーん!(カーテン開ける)おばあさん!
ハ ル:おばあさん? 私の名は、「ハル」。
(ナレーション)
入院した病院の同じ部屋には「ハルさん」という名の高齢の女性がいました。軽い認知症らしく、看護師さんとの会話もトンチンカンになるので、心が不安定な明美さんはついイライラしてしまうのでした。その日の夜遅く、ハルさんの息子さんと思われる年配の男性が、お見舞いに訪れました。
雄太郎:母さーん。…かあさーん…。
ハ ル:持ってきてくれたかい? 貯金箱。
雄太郎:忘れたりする訳がないでしょ。母さんの大事な貯金箱。
(貯金箱を振り鳴らすやかましい音)
ハ ル:たくさん入っているねえ。
雄太郎:母さんが長いこと掛かって貯金したんだよ。
(貯金箱を振り鳴らす音、以前よりもさらに激しく)
明 美:うるさーい! やめてー!
(貯金箱を振る音、急に止まって)
――少しの間――
雄太郎:…ちょっと、失礼してもよろしいでしょうか?(と、前とは打って変わった紳士的な態度で)
明 美:(いらいらしたままで)…どうぞ。
雄太郎:(カーテン開ける)隣のベッドの相川ハルの息子の雄太郎です。スミマセン…大層なご迷惑を掛けて。
明 美:手術の前の晩なんです。何ですかッ。あのやかましい音は。
雄太郎:(静かに)…貯金箱です。
明 美:そんなことは分かっています。私が聞いているのは…なぜ、今、病人の枕元で貯金箱を振り鳴らしたりするのかってこと。
雄太郎:…母にとっては、この貯金箱を振り鳴らす音が一番、心が落ち着くからなのです。
明 美:えっ、どうして!?
雄太郎:この貯金箱が「幸せ貯金箱」だからです。
明 美:…幸せ貯金箱…?
雄太郎:父が、戦争に取られた時、母はおなかに私を宿していました。そして私を産む時に大層難産で…死に掛けたといいます。もうろうとした意識の中で母は、必死に神様にすがりついたそうです。
明 美:神様に?
雄太郎:この子の命を、どうかお救い下さい。…母の願いは、すぐさま聞き届けられました…。喜んだ母は、お礼の印に神様と、ある約束をしたそうなのです。
明 美:…どのような?
雄太郎:私は毎日1回必ず誰か人様を幸せな心持ちにして差し上げるという「幸せ貯金」を生涯忘れずに続けてゆきます。
明 美:…1日に1回必ず誰かを幸せに…。
ハ ル:雄太郎、そろそろお帰り。電車がなくなってしまうよ。
明 美:ごめんなさい。ご事情もよく分からぬまま私は…。
雄太郎:(貯金箱をガチャガチャ振って)うるさい音ですよねぇ…ご迷惑をお掛けしました。
明 美:いいえ! 私の方こそ感情的になってどうも済みませんでした。
(ナレーション)
翌日、明美さんは無事に手術を終えました。そして卵巣の中に出来ていた腫瘍は、良性のものであるということが、分かったのでした。
良 介:明美、良かった、本当に良かった。
明 美:あなた、色々ありがとう。ねえ、お願いがあるの。明日、貯金箱買ってきて下さる?
