●先生のおはなし
「誰もが先生」

岐阜県
金光教垂井教会
清水正道 先生
(朗読:井上宗一 先生)
「老若男女、全ての人が先生です」
これは、私の奉仕する教会にお参りされている中村さんという、80歳の男性の言葉です。中村さんは、これまでの長い人生の間に何度も転職をしました。
最初は、従業員が230人ほどの自転車工場に就職。次に、従業員が3人の、段ボールで菓子箱を作る作業所に勤め、その次は従業員9人の板金業でした。そして最後は紡績工場の賄いの仕事でした。
いずれもそれまでの経験がまったく役に立たず、しかも仕事の環境も従業員の数も違うので苦労の連続でした。しかし人間関係の上ではいろいろと勉強をさせて頂くことが出来、後々役に立つ経験を積むことも出来、決して無駄ではなかったと言います。
中でも紡績工場での賄いの仕事は、従業員1300人の朝昼晩の3食と深夜の食事とを、男性4人、女性6人の10名で作るというもので、勤務時間も5段階に分かれているため、お互いに連絡が行き届かず、トラブルも発生して大変な苦労が伴いました。
また全従業員の食事を一手に請け負ってのことですから、責任も重大で、雨の日も風の日も、そして台風がやって来ようとも、遅刻をすることもなく、約10キロの道のりを自転車で通い続けたのでした。
例えば、深夜の食事は、ご飯を1度に約35㎏も炊ける釜で3釜、みそ汁を2釜、お茶を1釜作るという作業を、一人で2時間以内に準備します。時間との勝負でもあり、体力的にもきつい作業で、体が小柄で腕力もない中村さんは、「この仕事を続けていけるだろうか」と、最初のころは自信が持てませんでした。
上司からも、「この仕事が続けられるのか? 辞めるのなら早く言ってくれ」と毎日言われ、弱音を吐きたくなるところを、一心に神様にお願いしながら歯を食いしばって勤め続けたそうです。
やがてその仕事ぶりが買われて作業長になり、仲間とも打ち解け、職場の雰囲気も明るくなりました。ところがちょうどそのころ、何百人という部下を抱えていた部署の課長さんが、現場である問題を起こしたことの責任から、人事異動で中村さんの下で働くことになったのです。
中村さんは、この元課長さんにどう接したらよいのか戸惑いました。おそらくその方も、これまでの経歴を考えるとつらい思いがあったでしょう。
初めはどこかギクシャクして、折角良くなった職場の雰囲気もおかしなものになっていきました。作業長という立場上、「何とかしなくてはいけないな」と、中村さんは考え、気の引ける思いはありましたが、思い切ってこの方の正直な胸の内を、膝を突き合わせて聞かせてもらおうと決心したのでした。
仕事のことや家庭のこと、それこそ何もかも時間をかけて親身になって聞くことで、徐々に信頼関係が生まれてきました。作業中も親しく声をかけることを心掛けるうちに、やがて他の仲間との関係もうまくいくようになり、次第に職場に溶け込んでいくことが出来たのでした。
話を聞くといえばこんなこともありました。取引先の業者の方が時折食品のサンプルを持って営業に来られます。中村さんが事務室でその説明を聞いていると、どうしても小一時間はかかってしまいます。ギリギリの人数で回っている職場ですから、現場から、「いつまで話しているのか」という不満が出てくるのでした。その気持ちもよく分かるので、仲間には後で謝るのですが、業者の方との意思の疎通を深めるには、よく話を聞くということが大切なことと思い、時間を気にしつつも、話に耳を傾けたのでした。
またある時、他の会社の重役の方々が視察で工場に来られ、特別メニューで料理を用意することになったのですが、「こんな豪華な料理を、私も食べてみたいなあ」と作業中にうらやましげに言う人がありました。
それを聞いた中村さんは、「こうして上等な食事をする人たちは、私たちの何十倍もの責任があり、苦労もあるのです。人それぞれ立場や役割があるということを考えましょう」と話したのでした。
その中村さんもやがて定年を迎えました。人事の方にこれまでお世話になったことへのあいさつに行った時のことです。「引き継ぎは出来ましたか」と尋ねられたので、「仕事上のことは引き継ぎが出来ましたが、出来ないこともあります」と答えました。「その出来ないこととは何ですか」と聞かれると、「人と人とのかかわり方はそれぞれですので、これだけは簡単に引き継ぐことが出来ません」と中村さんは答えました。 容易に引き継ぐことの出来ない人間関係…。
金光教の教えに「人間を軽く見るな。軽く見たらおかげはない」とありますが、中村さんは常にこの教えを大切にしてきました。
職場に限らず人間関係は難しいものです。人の一面だけを見てねたんでみたり、うらやましがったりする。しかし中村さんのように相手の立場を理解するということを大切にすれば、そういう思いも徐々に心の底から消えていくのではないでしょうか。
世の中には、自分より年下だったり役職が下の人を軽く扱うような人がたくさんいます。しかし、中村さんは老若男女全ての人が先生だと言います。どんな人でも、その人なりの経験や価値観があって、それを鏡として自分を見直すことで新しい発見が出来るのです。
お互いに尊重し合って助かっていく道筋を願わせてもらうことが大切だと心がけて、中村さんは家庭の中でも気配りを忘れないようにと、日々過ごしています。
