黒い卵


●先生のおはなし
「黒い卵」

東京都
金光教八王子はちおうじ教会
増田誠夫ますだのぶお 先生


 おはようございます。増田誠夫と申します。東京都八王子市で生活いたしております。

 さて、私どもの日常の中では、時に予想もしていなかったこと、人生の中で思ってもいなかったこと、まー大抵の場合、額にしわを寄せる、といったことが多いのですが、今風に言うと想定外なことが起きてきてアタフタすることがあります。

 3年ほど前のある日、60歳にして人生初めての入院、手術という事態が私の身に起きました。これまで虫歯や結膜炎などでお医者さんの手を煩わせる程度のことはありましたが、ありがたいことに、まあ、元気な方だったんですね。それがおよそ1カ月もの間、病院のベットで過ごすことになり、初めてお見舞いを頂く立場となりました。

 それは突然何の前触れもなくやって来ました。腹部に異様な痛みを感じたのです。強烈な力で締め付けられた、とでも申しましょうか。息も出来ず声も出ず、食べた物が逆流する。しばらくするとフッと治まる。やれやれと思うとまた発作が起こる。
 初めて体験する状態でしたので、不安な気持ちに包まれましたが、ともかくも神様にお祈りをしてから近所の医者に行きましたが「大きな病院で検査をしてもらうように」と紹介状を渡されました。市内でも評判の大病院ですから、だいぶ待たされるのではと内心思っておりましたが、準急患扱いであまり待たずに血液検査、エコー検査などいくつかの検査をして頂き、胆石による胆嚢たんのう炎、それも重症、と診断されました。

 入院してさらに検査を重ね、胆嚢を全部摘出することに決まりました。手術前、ナースから度々「不安なこと心配なことはありませんか?」と聞かれました。また、手術の順番待ちの人からも心配や不安の言葉を聞かされましたが、私は、神様とドクターが2人3脚で対応して下さる、と確信しておりましたので、何の心配もなく、当日を迎えることが出来、まさに眠っているうちに手術を受けることが出来ました。すべてお任せする中、手術は無事終了しました。

 翌日、集中治療室から病室に戻る時には、少し痛みはありましたが歩いて帰ることが出来ました。抜糸も無事終わり、今後は脂肪分は出来るだけ減らすように、とのご指導を頂き、足取りも軽く帰宅。痛みと苦しさにもうろうとして出た我が家に元気に戻れたことがとてもうれしく、ありがたいことでした。 術後の主治医の説明では、胆嚢の状態は最悪で腹膜炎を起こす寸前の状態だったが、他の病気もなく手術そのものは順調に行うことが出来た、胆嚢は全部摘出した、とのことでした。そして「はい、記念品」と渡されたのは、どす黒いウズラの卵2つ分ぐらいの胆石でした。エコーやCTの画像で見たもの以上に実物は大きく迫力のあるものでした。

 自宅に戻り毎日の生活を過ごす中で、記念に頂いたと言うか持ち帰ったと言うべきかこの胆石を眺めていると、あれこれ様々なことが浮かんできます。これだけ大きい石がどうして出来たのだろうか、どうしたら出来るのだろうか、どのくらいの時間の中で出来たのだろうか、人様からも「とても昨日今日などでは出来ないよねー」「立派だねー」などとよく言われます。

 あれこれ思うに、私の食生活は脂肪分を十分に摂取するスタイルですから、胆嚢も疲れ果ててしまったのでしょう。さらには40年間の喫煙の中で体内に入った大量のニコチンとタール、この三者が、長い時の流れの中で複雑にかかわり、この胆石が作られてきたのではないだろうかと思うのです。

 もちろん食事だけが発症の原因ではありませんが、日々の食生活が人体に与える影響は、大変重いと思うのです。

 金光教祖こんこうきょうその言葉に「食物はみな、人の命のために天地の神が造り与えて下さるものである」とあり、また「何を飲むにも食べるにもありがたくいただく心を忘れるな」とあるのですが、戦後の食糧事情の悪い時期に育った私は、おいしい物をたくさん食べることに喜びはあっても、感謝とか感動などということは二の次三の次だったのではないかと、ふと思い至るのです。

 例えば、朝食のトーストにバターを塗るのでも、小さじ1杯が標準とするなら、大さじ1杯のバターでなければ満足しない。あるいは無意識のうちに今食べておかないと、次はいつ食べれるか、と思ったりする。そんな調子で今までを過ごしてきたように思うのです。
 そのような生き方は「何を飲むにも食べるにも、ありがたく頂く心を忘れるな」という教えとは、かけ離れている姿ではないか、と気付かされたのです。耳にタコが出来るほど聞かされた言葉でしたが、頭で知っていることと身に付いて知っていることとはおのずと違うという当たり前のことを、この度の入院手術で、少しばかり痛い思いをして教えられました。

 退院後、私の心にささやかな変化が起きてきました。それは、食べ物への感謝の思いが、以前とは比べられないほどに、素直に感じられるようになってきたことです。

 また、教祖の言葉に、「食物は、わが心で毒にも薬にもなるものである」とあります。かつては、耳障りの良い言葉、としか思っていなかったこの言葉のもつ重さが、今の私にはひしひしと迫ってくるのです。これからは、この教えをしっかりと抱きしめつつ毎日の生活を、さわやかに元気に送りたいと願っています。

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