●先生のおはなし
「姑のひと言」

広島県
金光教鯉城教会
久保田久美子 先生
教会に嫁いで36年、姑を見送って6年の歳月が流れました。結婚当時から私は、考え方のあまりにもかけ離れた姑に心の中で反発し、葛藤を続けていました。
昭和49年。24歳で結婚した私は、これから始まる新しい生活への期待と不安を抱いておりました。当時、姑は65歳。明治生まれの、聡明で凛とした、芯のとても強い、昔気質の気丈な女性でした。
最初の7年間は、夫の勤務先の関係で、岡山と教会のある広島を行ったり来たりの生活でした。姑との間で少々嫌なことがあっても、戻る場所があり、気持ちを切り替えることが出来ていました。
ところが、両親も年老いて同居生活が始まるようになり、最初のうち、姑は「これでやっと食事を作ることから解放される」と大変喜んでくれました。しかしこの後厳しい現実が待っていたのです。
数カ月がたつと、主人を通して私への不満が伝わってくるようになりました。「買い物に行く回数が多すぎる」「料理の品数が多くてぜいたく過ぎませんか」などです。
私なりに、日に3度の食事の献立を考え、少しでも安い材料で時間をかけて品数を多くし、ごちそうに見える工夫をしているのにと、私の心は穏やかではありません。これから先が思いやられると、一抹の不安がよぎりました。
案の定、子育てについても、ぶつかりました。長男が生まれた時のことです。 「跡取りが出来た」と、とても可愛がり、薄着をさせると「かぜを引くから、一枚着せなさい」と言い、たくましく育てたいと思う私は「これでいいのです」と言い返しました。
すると姑は「この子が病気になってもいいんですね?」と言ったこともありました。 また、3人の子どもたちは、毎日のようにお風呂に入りたがります。すると「お風呂を沸かす回数が多いのではないですか」と不機嫌になり、子どもに合わせてご飯を炊くと「今日は針のようなご飯ですね」と、歯が悪いせいもあってか、きつい口調で訴えかけてきます。
今であれば、さらりと流せるようなことでも、当時はどうしても許せなくて、いつも一方的に自分の考え方を押し付けてくる姑が嫌で、さりげなくその場を立ち去ったこともしばしばでした。
こんな苦しい心の状態を続けていたある日のことでした。姑とお茶を飲んでいた時、突然姑が「久美子さん、長い間、辛抱してくれましたね。結婚式の日、あなたのおかあさんたちを乗せたバスが帰っていくのを、涙を流して見送っていたあなたの寂しそうな顔は、今でも忘れられません」と言ったのです。
「えぇ~!」と、思いがけない、予想もしない姑の言葉でした。私はその言葉を聞いて「まさに、神様が姑に言わせようとした言葉にちがいない」と思いました。「姑は、ずっとこんな思いで今まで私を見てくれていたのか」と思うと、ありがたい気持ちと同時に、あんなこと言われた、こんなこと言われたと、不満ばかり思っていた自分がはずかしく、なさけなく思われてきました。一方的に色眼鏡で相手を見ていたのは自分だったんだと気付かされ、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。
姑の思いを知ってからは、姑を見る目が変わってきて、不思議なほどわだかまりがなくなり、素直な心で話せるようになりました。 すると、姑のすぐれた面が、次々と見えてくるようになってきたのです。お米のとぎ汁は草木に、少し匂いの付いたものでも捨てないで、洗って味を付け直して食べるなど、食べ物を決して粗末にしないこと。男性用のワイシャツの襟を取ってスカートとつないでワンピースに、袖は腕抜きに、最後はぞうきんに、というように、古着を十二分に活用し、全てのものを大切にしていました。さらに、食事の前後や朝夕、神様への祈りは欠かしたことなく、神様に心を向けた生活が、とてもしっかりしていました。
また、戦時中、国の政策により、教会会堂が強制的に取り壊されたことをとても残念に思い、終戦後、何としても信心のともしびを絶やさないよう、数回にわたる増改築に図面を書くなど、一途に、教会の復興建築に情熱を傾けていたようです。正直、私は姑にはかなわないと思いました。
これまでの自分を振り返ると、姑の表面的な言動ばかりにとらわれ、姑の深い思いをくみとることが出来なかったと、改めておわびの心がわいてきました。
晩年、姑は次第に年老いて、私のことを「久美子さん」から「久美子お母さん」と呼ぶようになり、気が付けば立場がすっかり逆転して、私は姑のお母さんになっていました。洋服を着ることから始まり、何につけても「久美子お母さんが上手」と言って、私を頼ってくれるようになり、何げない姑との会話も楽しく、心から姑をいとおしく思えるようになりました。
あれほど厳しかった姑が日増しに穏やかで神々しくなり、眠るように94歳7カ月の尊い生涯を終えました。生前、姑は「迷った時は何が一番大切か考えなさい」と申しておりました。常に神様が第一の姑の生き方は、時には厳しくて受け入れられないこともありましたが、神様の思いにかなっていたように思うのです。
私は姑との間柄を通して、自分の考えが正しく間違いないという、心のおごりを教えてもらったように思います。今では、姑に心の底からお礼を申さずにはおれません。私の中で、年追うごとに姑の存在が懐かしく、大きくなっています。
