「おどおど」を「わくわく」に ー初めてのお菓子作りー



●先生のおはなし
「『おどおど』を『わくわく』に ー初めてのお菓子作りー」

金光教大仁だいに教会
岩崎繁之いわさきしげゆき 先生



(案内役)おはようございます。案内役の大林おおばやしまことです。
 最近のスーパーは、セルフレジが多くなってきましたね。私、自分は機械に強いと思っていましたけど、レジの機械でもたもたしている様子を見て、店員さんがしばしば助けにきてくれます。恥ずかしくて、おどおどしてしまいます。格好いいおじさんでありたいと思っても、なかなかそうはいきません。
 さて今日は、その「おどおど」についてです。大阪市にあります金光教大仁だいに教会、岩崎いわさき繁之しげゆきさんのお話で、「『おどおど』を『わくわく』に―初めてのお菓子作り―」。

(本文)ある日曜日の午後のこと。中学生の娘が、お菓子作りをしたいと言い出しました。
 何でもYouTubeで動画を見ていて、「自分も作ってみたい」と思い立ったようです。妻は買物に出かけており、父親である私に向けて、「一緒に作ろう」というお誘いです。
    あれっ? お母さんとじゃなくて、お父さんとでいいの?
 何とな~く、引っかかるものがありつつの戸惑い半分、うれしさ半分。
 せっかくなので「へー、おもしろそうやん!」と返事をし、何を作るのか聞いてみます。
 娘が作ってみたいのは「ガトーショコラ」。
   ああっ、どうしよう、言葉からイメージが思い浮かばない…。まあ、娘が作り方を分かっているだろうから、様子を見守るくらいをすればいいんだろう。そんなことを思いながら、さっそく取りかかります。
 材料はあらかじめ買いそろえていると言うので、段取りを娘に尋ねました。お菓子作りは、「分量と手順が大事」ということくらいは、初心者の私でも知っているので。
 すると、娘は動画を見ようとタブレットをのぞき込んで、考え込みながらなかなか返事をしてくれません。
    あれ、いきなり雲行きが怪しいのかな?
 少し気を使って、さっきよりもっと言い方を優しめに、「材料は何? どうやって作るの?」と聞いてみると、その都度動画を見ながらのご返答。よく聞いてみると、実は娘にとって初めてのお菓子作りだったのです。
    あちゃー、見守っているだけだと思っていたけど、あてが外れた。
 娘のせっかくのやる気を大切にしたい。でも自分の力量では難しい。そこで、心の中で「神様、ご先祖様…」と祈りつつ、頭の中でどう進めるかフル回転で考えます。
 そこで、そういえば…と思い出したのが、以前、職場の先輩から聞いた、「初心者の達人になる」というアドバイスでした。
 誰でも初めは初心者です。初心者の時って、疑問を言葉にしようとしても、その言葉自体が思いつきません。それってすごく不安なこと。経験を積んでいくと、うまく言葉で表現ができるようになります。でも、できるようになりたいともがくことはとても大事なことです。
 「初心者の達人になる」とは、初心者の不安な思い、言葉にできなさを大切にする、ということです。
 じゃあ、このお菓子作りの場面で「初心者の達人になる」ってどうすることだろうかと考えると、ふとテレビの料理番組のことを思い出しました。教える役と聞き役のやり取りです。娘が「メイン」なんだから教える側。そうすると、私は聞く側。何も知らないからこそ興味を強く持っていろいろ聴いていこう。
 こんなふうに考えがまとまっていくと、私の中に浮かんでいた「おどおど」した不安な気持ちが、「わくわく」という楽しみな気持ちに変わっていきました。
 さて、動画を一緒に見つつ、お菓子作りを進めていきます。娘に向かって、「先生、これはこうしたらいいんでしょうか? それともこうするほうがよろしいですか?」というように、初心者の私が質問をし、先生である娘に答えを求めます。娘の方も、「それはね、こうするんですよ」と、先生として初心者の私に教えてくれます。
 こんなやり取りをくり返していると、すっかり先生気分の娘のほうも、「どうしたらいいんだろう」という「おどおど」した気持ちが落ち着いて、鼻歌交じりに楽しそうに作っていきます。実は、動画をくり返し見て、頭の中でのシミュレーションはばっちりだったのです。その時欲しかったのは、まさに自信だったのでしょう。
 分量と手順をその都度確認して進めていくと、およそ大きな失敗なく「ガトーショコラ」なるものが出来上がりました。初めて作った娘は大満足。ということは、私も立派に聞く役を務めることができたようです。
 「うまく出来たから神様とご先祖様にお供えする?」と娘に聞いてみると、「うん、お供えしてくる」との返事です。
    ありがとうございました。
 娘はお菓子が出来たことを、私は初心者の達人になるという「思い付き」が差し向けられたことについて、一緒にお礼を言ったのでした。
 ところで、一般的に父親にとって、中学生という思春期の娘とのやりとりには、ちょっとしたことでお互いの気分や関係を崩しかねないスリルとサスペンスがあるように思います。ですから、娘とのやり取りはささいなことのようでいて、私には、実はものすごいミッションを達成したことのように思えるのです。
 「不安」と「期待」という二人の気持ちに、「祈り」というアクセントをきかせることで、不思議と整っていったように感じたことでした。 さて、後日、娘に以前から気になっていたことを聞いてみました。
 「この前のお菓子作りの時、どうしてお母さんじゃなくて、お父さんを誘ったの?」
 すると、娘は、「お母さんは細かくいろいろ口を出してくるけど、お父さんはテキトーだからごちゃごちゃ言わないでしょ」となぜか自信満々に答えられてしまいました。
 娘から初心者の「したたかさ」を学んだ私でもありました。

(案内役)いかがでしたか。
 「初心者の達人」とは、面白い言葉ですね。知らない、できないというのは、いろんな可能性が宿る「伸びしろ」。私なんか、年と共に果てしなく伸びしろが広がっていきそうですが、岩崎さんのように、「祈り」によって、おどおどをわくわくに変換しながら生きていきたい。そんなふうに思いました。さあ、今日もわくわくの一日が始まりますよ!

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