●あなたへの手紙
第1回「①神経質/②神様のおかげ」

金光教放送センター
おはようございます。小林眞です。
宮崎県にお住まいの30代のOLの方から、こんなお便りを頂きました。
「私は会社の先輩から『神経質』だとよく言われます。例えば、湯飲み茶碗を洗ったりする時、先輩は水でさっと洗って済ませるのですが、私は洗剤できちっと洗わないと気が済まないのです。そんなことでも『神経質ね』と笑われるのですが、こんなことがしょっちゅうあるのです。私からすると逆に、先輩の方が気遣いが足りなさすぎると思うのですが、どうしたらいいのでしょうか。」
そうですか。それで神経質ですか。私はあなたにお茶碗を洗ってもらいたいですね。大抵の人は、どうしても自分を基準にして人のことを評価するので、大ざっぱな人からみれば、あなたは神経質に映るのかもしれませんね。でも、人から「神経質だ」なんて言われると気分がよくないですよね。
私もどちらかというと神経質な方なんですが、若いころには、人からそれを指摘されて、ちょっといらついていた時期がありました。それで、そのころは今のあなたと同じように、そんなことを言う人に対して「あなたたちが無神経すぎるんだ」と、いつも思っていました。
同じ一つの事柄でも、人によって感じ方、考え方はまちまちです。夫婦や親子、兄弟であってもです。ですから、いろんな事柄に出会う度に、いつも「自分は正しくて人が違う」というように思っていたら、衝突ばかりしてしまいます。やはり人の意見もちょっとは聞いていく必要がありますよね。
それで私は「ひょっとしたら、私は本当に神経質なのかもしれない」と思うようになり、それで自分を素直に見てみると、確かに、人よりは神経質なところがあるのがだんだん分かってきたのですが、そう自分のことが思えるようになると、例え人から神経質だと言われても、もう反発する必要がなくなるんですよね。
実は、反発しようとするから、傷ついたり面白くなかったりするんですが、素直に認めてしまいさえすれば、どうということはないんです。面白いもので、私の場合「自分は神経質なんだ」と認めるにつれて、人から神経質だと言われなくなっていったんです。
もっとも、神経質というのはあながち欠点ばかりではありませんよ。人の気が付かない、大切なことにも目が届くのですから。ただ、人よりはちょっと神経が細やかなので、余計なところにまで気が付いたりするんですが、私は若いころ、そんな時、すぐにそれを指摘したり、眉をひそめたり、人を軽く見たりしていたように思うんです。やはりこれではいい人間関係は築けませんよね。みんなそれぞれ違う個性を神様から頂いて生まれてきているのですから、それを認めていきたいですよね。
私は、どうしても気になって仕方がないことが起こった時には、「まあいいか。命に別状無いか」と、軽く受け流すようにしてきたんです。あなたも参考にしてみて下さいね。
次は東京にお住まいの30歳の男性から、こんなお便りを頂きました。
「私の会社に金光教の信心をしている友人がいるのですが、彼はよく『神様のおかげ』という言葉を口にするのです。金光教ではどんなことを神様のおかげというのですか?」
そうですね。「神様のおかげ」でなく、ただ「おかげ様で」という言葉なら、世間一般でよく使いますよね。あなたも使いませんか? 例えば病気が良くなった時なんかに。
「元気になられましたね」
「はい、おかげ様で」というふうに。
普段、何の気なしに使っているそのおかげ様って、誰のおかげ様をいっているのか考えたことがありますか?
もちろん、病院の先生や家族、みんなのお世話になって、というのもあるのでしょうが、特別に病院にもかかってない、薬も飲んでない、それでも元気になれば「おかげ様で」って言いませんか?
金光教には「信心はしなくてもおかげは授けてある」という教えがあるんです。私たちはみんな、神様から空気、水を始めとして、いろんなお恵みを受けています。また病気になった時、体の中から治そうとする働きが起こるのもその一つです。あなたは、痛い所があった時、特に手当てもしないのに知らぬ間に治っていたという経験はないですか。
一晩眠ると、前の日の疲れがすっかり取れていた。そんな時、元気な時には当たり前で済ませてしまうこともあると思うのですが、それを「神様のおかげで良くなった」と受け止める。当たり前で終わらせてしまうと、ありがたくもなんともない普通のことで終わってしまうのですが、それを「神様のおかげ」として受け止めると、ずいぶん違ってくると思うのです。
今まで当たり前と思っていたことが、実はそうではなく「神様のおかげなんだなぁ」と気づくことが大切なんです。例えば朝、目が覚めた時「あぁ、今日も神様に命を頂いた」と気づけば、普通の一日が特別な一日になるかもしれませんよ。
一般に「おかげ」というのは、信心することによって神仏の加護を受け、人間の願い事がかなうことをいうようですが、金光教では、それだけではなく、今述べたような働きすべてを、「神様のおかげ」と言っているんです。
お分かりいただけたでしょうか。
あなたも一度、教会にお参りしてみませんか? きっと「あれもおかげ、これもおかげ、ありがたいなぁ」と思えることがいっぱい増えてくると思いますよ。