●こころの散歩道
「『サンキュー』から学んだ『おはよう』」

金光教放送センター
「おはよう!」
「おはようございます!」
朝の散歩中、人とすれ違う度に交わすあいさつはとてもすがすがしいものだ。3年前から犬を飼い始め、朝の散歩がいつしか日課になった。すると、意外にも朝の散歩をしている人たちが多いのに驚いた。
最初のうちは、タイミングや声のトーンなど戸惑いもあったが、そのうちに慣れてきて、お互いに気持ちよくあいさつが出来るようになってきた。また、自転車に乗って学校に向かう学生たちは、「おはようございます!!」と、明るく爽やかにあいさつしてくれるので、こちらも身の引き締まる思いがする。
そんな中、60歳くらいであろうひげを生やしたおじさんは、毎朝決まったところですれ違うのだが、あいさつは全くしないし、視線もこちらに向けようとしない。初めのうちは、「おはようございます」とあいさつしていたが、苦虫をかみ潰したような顔をするので、こちらも段々嫌な気がしてきて、何も言わずにすれ違うだけになった。
ところが気になるのだ。どうして朝から不機嫌そうな顔をして散歩なんかしているのかな? 嫌なら家でじっとしていればいいのに…。それとも、体がどこか悪いのかな? 心配事でもあるのかな? そう思ってあいさつをしてみると、やはり無視だった。あーあ、それにしてもこちらまで、朝の爽やかな気分が吹き飛んでしまうじゃないか!
今日は出張だった。月に1度のことで、もう10年になる。仕事を終え、帰りの飛行機に乗り込んだ。すると、隣の席に体の大きな外国の方が座ってきた。外国人と隣り合わせで座るのは初めての経験だった。
離陸後しばらくして、飲み物のサービスが始まり、私の所にもやってきた。私はホットコーヒーを頼んだが、体の大きな彼が邪魔をしてコップが届かない。すると、彼が受け取って私に渡してくれた。私は思わず「サンキュー」と言った。それに対して彼は、「どういたしまして」と流ちょうな日本語で返してきたのだ。
その後、彼としばらくの間おしゃべりを楽しんだ。
「日本語お上手ですね」
「日本に来て3年になります。ポルトガルから仕事で来ています。ポルトガルのこと、知っていますか?」
「うーん、カステラ…ですか」
すると彼はちょっと悲しそうな顔をして
「ポルトガルには、あのお菓子はないんですよ。あれは日本で生まれたお菓子です」
「あっ、ごめんなさい」
「いいんです、皆さんよく言われるから慣れました」
「ん、では首都がリスボンですよね」と言うと、
「よく知ってますね。僕の出身地はリスボンの隣町なんですよ」とうれしそうに教えてくれた。
それから彼は言いにくそうに、「さっきあなたは、『サンキュー』って言ったけど、ポルトガルは英語じゃなくてポルトガル語なんですよ」と言った。私は恥ずかしくなって、「ごめんなさい」と小さな声で謝った。
すると彼は慰めるかのように、「もちろん英語も分かるから良かったんですよ。でも、ここは日本なんだから日本語でいいんですよ」と言ってくれた。「あっ、そうか、ありがとうでよかったんだ」と納得して言うと、彼は、「『ありがとう』っていい言葉ですね。漢字で書くとまたいいね。有ることが難しいと書くんですね。キセキってことですよね。今日はお話出来てありがとう」と、にっこり笑った。私も、「色々と教えてくれて本当にありがとう」と言って、固い握手をして彼と別れた。
空港から電車に乗り換えたあとも、心地よさが残っていた。ポルトガル人の彼と、言葉だけでなく心が通じたからだろう。その時、なぜか毎朝の散歩のシーンが頭をよぎった。あのあいさつをしないおじさんとは、言葉は通じていても心が通じていないんだ。それに自分はただあいさつを押し付けていただけじゃないだろうか。きっと形だけのあいさつだったから、受け入れてもらえなかったんだ。
その翌日から、毎朝そのおじさんとすれ違う度に、静かに、「おはようございます」と挨拶をし、おじさんの後ろ姿に、「どうか良い1日が過ごせますように」と祈りながら見送るようにした。おじさんからは相変わらず何も返ってこない。でも私は構わず、祈りながら心を込めてあいさつを続けた。
そんな日々が半年近く過ぎたある日のことだ。飼い犬が脇道にそれて、においをクンクン嗅いでいた時、背後から声を掛けられた。
「おはよう。可愛いワンちゃんだね」
振り返ると何とそのおじさんだったのだ。
おじさんはにっこり笑って立ち去っていった。私は慌てて、「おはようございます。ありがとうございます」と言って見送った。その次の日から、お互いあいさつが交わせるようになったのは言うまでもない。
「おはようございます」
どうか良い一日が過ごせますように。