お礼と喜びの日々を


●信者さんのおはなし
「お礼と喜びの日々を」

金光教放送センター


 福岡県古賀市は九州の北部にあり、流通や交通の面で豊かな生活環境が整っています。また西に玄界灘、東には山々が連なり豊かな自然にも恵まれています。
 その古賀市の中心部にある金光教古賀こが教会に毎朝参拝している三上みかみカヅ子さんは70歳、笑顔の素敵ないつも明るく元気なご婦人です。
 カヅ子さんと金光教の関わりは、物心つく前からお母さんに手をひかれて教会にお参りしていたことに始まります。お母さんと一緒にお参りしたことはカヅ子さんにとってとても楽しい思い出です。
 しかし、お母さんはカヅ子さんが10歳の時、40歳で亡くなりました。大好きなお母さんを亡くしたカヅ子さんにとって、教会は心の寂しさを埋めてくれる、また心の安らぎを与えてくれる大切な場所となりました。教会の先生方から我が子のように可愛がってもらい、更に生きていく上で大切なことを一つひとつ教わりながら成長していったのです。
 その後、結婚して3人の子どもにも恵まれました。嫁いだ先は兼業農家をしていて、ご主人は勤めているのでカヅ子さんは慣れない畑仕事に家事や育児と目の回るような忙しい日々を過ごしていました。結婚前ほどゆっくりと、また頻繁に教会参拝が出来なくなったこともあり、カヅ子さんの心は言い知れぬ不安と心配で一杯になり、どこか遠くへ逃げ出したいとさえ思うようになっていきました。
 そんなある日のこと、車を運転中に大事故を起こしてしまったのです。それはカヅ子さんが46歳の時のことでした。居眠り運転をしてしまい電柱に正面からぶつかったのです。足は車から突き抜け、頭と顔は血まみれ、体は押し挟まれ、事故処理用の車を使って外に出されたそうです。
 カヅ子さんは事故前後の意識はなく、目が覚めるとすでに手術が終わっていました。鼻にはチューブ、全身に包帯を巻かれ、足は曲がらないように固定されています。意識が朦朧もうろうとする中、大変なことをしてしまったと思いつつ、「ああ、神様が助けてくれたんだ」と涙があふれてきました。
 実はこの事故の時、本当に神様のおかげとしか言えないことがいくつも重なっていたのです。まず、通り掛かりの人や車にぶつかっていてもおかしくなかったのに電柱であったこと、そして電柱に激突した際、近くに女子高校生が居合わせ、すぐに救急車を呼んでくれたこと、また、担ぎ込まれた病院には普段一人しかいない整形外科の先生がこの時に限って3人おられたこと、そしてその3人の先生が手分けをして12カ所の手術を8時間かけてして下さったこと、など。カヅ子さんは無い命を神様に助けてもらった喜びを噛みしめつつ、入院生活を過ごしていきました。
 入院してから2カ月間は体を全く動かすことは出来ず、全て看護師さんのお世話になりました。その後、体を動かすリハビリを始めましたが、足は鉄の棒のようになっていて動かそうとするととても痛いのです。カヅ子さんはあまりの痛さに泣きました。しかし、泣く泣く辛抱しながらリハビリを続けていると膝は少しずつ曲がるようになりました。足を曲げたり伸ばしたりといった当たり前のように出来ていたことがこれ程大変なことだったのかと分かると、「これまで喜ぶことが少なかったなぁ」と反省するカヅ子さんでした。
 8カ月間に渡る長い入院生活を終え、お世話になった病院を退院する日が来ました。その頃はステッキを突いて歩けるまでに回復していました。退院したその足で教会へお礼参拝すると、教会の先生はとても喜んでくれました。今回の事故はもちろんのこと、これまでもずっと教会の先生から祈られてきたんだと本当に有り難く感じ、改めて神様に守られているんだと確信したのです。
 それからのカヅ子さんは周囲が驚くほどの回復を見せ、ステッキ無しでも歩けるようになって、教会では正座をして座ることも出来るようになり、再び車の運転さえ出来るようになりました。その頃から毎朝教会へ参拝し、先生と話をすると清々しい思いで一日を迎えることが出来るようになりました。
 先生から、「不平不満は稽古をしなくても出来ます。お礼と喜びは日々稽古をしないと出来ませんよ」と言われ、カヅ子さんは事故の時のことを振り返りながら、本当にその通りだと思い、どんなことが起きてきても喜び、お礼が言える稽古を毎日取り組んでいきました。日々の忙しさは以前と変わりませんが、それが喜びとお礼に満ちあふれた一日一日となっていったのです。
 あの事故から10年後、今度はご主人が脳梗塞で倒れ、2年間入院しました。この時も、「自分と重ならなくて良かった」と神様にお礼を申しながら、喜んで看病に勤めました。ご主人は退院後、車椅子での生活になりましたが、車椅子のおかげであちこち行くことが出来るとカヅ子さんは喜びます。その後、ご主人は徐々に弱ってきて寝たきりとなってしまいましたが、カヅ子さんは自分が元気だから介護が出来ることを喜んでいます。
 自宅での介護はとても大変なことが多いのですが、長い間毎日お礼と喜びの稽古を積み重ねた結果、何事も有り難くさせてもらえるのです。例えば、主人がおしっこをたくさんして衣類がビチャビチャに濡れても、おしっこが出ることが有り難いと喜びます。
 「今朝もお参りした時に教会の先生から、『昨日を忘れ、今日を喜び、明日を楽しみに』と教えて頂きました」と明るく語るカヅ子さんの夢は、3人の子どもと5人の孫にこの大切な信心を伝えていくことです。

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